のが若い娘であつた。茶釜には番茶を詰めた布袋が入れてあるので、ぬるいばかり何時でも眞赤に澁の樣な茶が出て居るのである。其茶を五郎八茶碗《ごろはちぢやわん》といふ大きな茶碗に汲んで、冠つて居た虱絞《しらみしぼ》りの手拭を外して茶を出したのである。竹の簀の子が踏む度にぎしぎしと鳴る。其娘が思ひも掛けぬ美しさなので、只恍惚としてしまつてそれからといふものは獵といへば屹度娘の家をおとづれてさうして生涯の語らひが出來たのだとかういふ事であつたのだと想像して見た。おまへの母の眉よりはよかつたといつて微笑するおばあさんは當時のことを幾らか聞き知つて居るだらうと思ふが決して語つたことがない。それといふのは律義な人はかういふ成立ちの事柄をも一家の恥辱のやうに思つて居るからである。それ故其當時のことは自分で想像して見なければならぬ。只美男であつたといふことゝ美しい娘であつたといふことは事實である。
其非常な美しい娘であつたのが太つたおばあさんになつてから何をしたかといふと明けても暮れても釣ばかりして居た。掘端へ薦を敷いて厭になるまでは夜中でも釣つて居る。それで恐怖といふことを知らなかつた人なので、ゆんべは青い火の玉が飛んだなどゝいふことが屡々であつたといふ。此人の腹から出たのは皆男でそれが村の中に分れて各一家をなした。夫故一族に美人が出たのである。余の家に會合でもあるといふと人の羨しがる程美しい人々が集つたものだと傳へて居る。
然し過ぎ行く幾月の間に人々は凋落し老衰して同時に一族の者は孰れも窮乏してしまつた。孰の家も亦家運が傾きつゝ此一族の中心となつて立つて居る。鹿を吊るした柿の木はどうしたといふと既になくなつて居る。其柿の木は路傍に立つて枝は粗朶小屋の上を掩うて竹の林に接して居た。或夜のことである。余は不意に掻き起された。下女は余を背負つた儘門の外へ駈け出した。眼前には焔が立ち騰つて粗朶小屋が燃えて居るのであつた。余は只ぶる/\と震へて齒の根が會はなかつた。其うち村中が集つた。みんなの顏が眞赤であつた。後になつて廻りの竹はだん/\枯れた。柿の木も其時に焦げたのでとう/\薪に伐られてしまつた。かういふことで柿の木はなくなつたのである。火事は余が七つか八つの時のことである。
[#地から1字上げ](明治四十年五月發行、趣味 第二卷第五號所載)
底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書
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