ますから私さへ戻らなければそれまでなんでございます」
「そんなことを聞いては何ですがそれには訳もあるんでせうがね」
「私どうしても厭なんでございます」
私は襖を隔てゝかういふことを聞いたことがある。私は耳を欹てた。おいよさんは戸籍は送つてないといつたけれど夫のある女である。夫のある女といふものは決して善い感じを与へるものではないのである。然し私に近くおいよさんの居ることは私に少しも不快の感を起させない。おいよさんが私の家に少し落ち付いた頃私は其涼し相な目を見てふと何処かで見たことがありはしないかと思つた。追求の念が絶えず私をそゝつておいよさんの顔を見させたのである。おいよさんは此を何と思つたか、私がおいよさんを見る度においよさんも私を見返すのであつた。
三
其頃からでは余程前のことであつた。或遠方の姻戚に葬式があつたことがあつた。夏といつてもまだ暑いといふ頃ではなかつたが、竹の筒には百合の花が供へられてあつた。藪の草の中などにはまだ山百合が膨れ出しもしなかつた位であつたから、草花の好な私は其白い花が何といふ百合であるかと見て居たのであつた。其土地は私の村とは違つて樹立
前へ
次へ
全66ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング