閉口して居ると、誰かゞ苫を少しさげて呉れたので凌ぎよくなつた、それからはもう眠りもせずに寢て居るとまた鈴が鳴つた、これも確かに手ごたへがあつて、銀色の夜目にも美しい獲物がまた籃にをさめられた、聊眠かつた眼もはつきりしてきた、雨はとうにやんで雲も收つてしまつた、明方に近づいたといふ鹽梅にいづこともなく明るくなつた、だん/\に向の岸までが見えるやうになる、舟中のものは孰れも沈默を破つて水上の生活の手輕さをいつては笑ひ乍ら、各々顏を洗つたり土瓶をすゝいたりしてやがて凉爐には火が起る、湯が煮立つ、爺さんはすゝぎもしない土瓶へ茶を入れた、傍から「爺さまそれは酒の土瓶だぞ、酒がまだ殘つてたんべえといへば「うん道理でおかしかつた、それでも構ふことはねえと澄まして湯をさしては飮んで居る、自分が頭にして居たところには薪が蓄へてあつたのであるが、一人がその薪のなかゝら一束の葱を引き出してザブ/\と洗つて鍋蓋を倒にした上でブツ/\刻んだ、汁がかけられた、こんなことで舟のなかでは朝餉の仕度をして居ると三度目の鈴がから/\んと鳴つた、綱が直ちに引ツ張られた、網の起き揚るのはいまは明かに見られた、底になつてるといふ網の浮ぶのも遺憾なくわかつた、さうして獲物の狼狽する樣迄が愉快に見ることが出來た、痩せぎすが「こんどはあばれるところを叉手ですくつて見せべえと叉手をつき出したがそれよりもはやく網へくるまつて仕舞つたのですくふ所はとう/\見られなかつたが、一日一晩かゝつてもとれないこともあるといふのに、一度、二度、三度までも捕獲のさまを目撃することを得たのは望外の幸といはなければ成らない、七尾のうちで尤も鱗の美しきもの三尾は籃に入れて叔父と共に家に運ばれることになつた、岸に上るとそこはサヤといふものが立てゝ干してあつた、遙かに川下の出ツ鼻にも苫舟が一艘見えた、豆腐屋といふのゝ連中だ相だ、それから自分等の居たすぐ向うにも一艘見えた、それは今獲物があつたといふのかサツパが漕ぎ出されつゝあるところであつた、
[#地から1字上げ](明治三十七年四月五日發行、馬醉木 第拾號所載)



底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2004年2月19日作成
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