今此頂から連山を見る目に遮るものがないやうになつかしい此山が先づ目につくであらう。何處かの一角に其俤が見える樣な心持がする。濱々の漁人は今其茅屋に久しい間の妻や娘を待[#「待」は底本では「持」]ち疲れつゝ居るに相違ない。其濱々が山のうしろに隱れて居るのである。此峯つゞきは角田山で畢つて其さきは平野が海と相接して居る。其角田の山を幾らも相隔らぬ所に眞白く川口が見える。余は一も二もなくそれは蛸を賣りに行くといふ内野の川口だと思つたので看守人に聞いて見たらあれは新潟であの煙が石油製造所だといつた。余は新潟はもつと遠くに離れて居るのだらうと思つたのであつた。煙だといふのは埃が吹つ立つた樣な色で斜に長く棚引いて巾廣に海を掩うて居る。看守人の居る所を辭して復た廟の傍に立つと佐渡の雲は依然として白く海へ映つた儘である。痩せた薄の穗もやつぱり傾いたまゝ動かない。更に一遍ぐるつと見廻して見ると低くて小さなつまらぬ山と思つた此の彌彦の眺望の闊大なのには今更の如く驚かずには居られぬのである。
 杉の林へ下りると根ごじにした小さな杉の木と唐鍬とを側に置いて二人の老人が焚火をして居る。藁で板の樣に拵へたものを背負つて居るので何といふものかと聞いたら、此は「バンドリ」といつて此を當てゝ置けばどんな荷物でも背中が痛くないのだといつた。暫く噺をして居るうちにふと良寛上人の噺が出た。良寛さんといふ人は墓から椀を拾うて來たので良寛さんそれは死人の椀ぢやありませんかといつたら洗うてたべてるといつたといひますといふ樣なことであつた。一人の老人は顏を地面へ擦りつけるやうにして燻ぶる火を吹いて居る。それは枝豆を焦がしながら燒いて居るのであつた。
 彌彦から吉田へ出る間は稻刈りがはじまつて居る。路傍には榛の木が立ちならんで居る。其榛の木へ幾筋となく繩を引つ張つて其繩へ小束を掛ける。それ故恰かも塀と塀との間を行く樣になつてる所がある。燕といふ所で大道へ店を出して果物を商つて居る女があつた。柿があるので甘いかと聞いたら古い樹でなければまだ今頃はコンゲナ柿は出ない。ホンネ、カンドを甞めるやうだといつた。甘露のやうだといふのである。燕から渡しを越えて長い堤をぶら/\とカンドの樣だといふ柿を味ひつゝ歩いた。長い堤が盡きると又川がある。此は二瀬になつた信濃川の本流である。此所には長橋が架設してある。橋を越えれば三條の町にな
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