彼は瓜が盜まれるのを惜むよりも、若し盜人が踏み込んだとしたならそれを捉へなければなるまいといふのが懸念なのでありました。彼のこゝろは盜人を逐ひ出すのさへ厭なのであります。彼はそれ程穩かな生れた儘の眞直な性質の人間であります。
 庄次は血を吸ひに集つて來る蚊を避けて古びた蚊帳の中にぽつねんとして居ました。だぶ/\にたるんだ蚊帳の天井は坐つた彼の頭に觸りました。そして又暑くなると蚊帳から半身を出してぼんやりとして居ます。月は番小屋の短い廂から覗いて居ます。瓜畑は凡てが薄霧で掩はれたやうにほんのりと明るく、且つ白く見えました。其中で殊に白く美しいのが白瓜でありました。庄次は恍惚として白瓜を見て居ました。
 すると恰も上手な鍼醫《はりい》が銀の鍼を打つやうに耳の底に浸み透る馬追虫の聲が、庄次の這入つてゐる蚊帳に止まつて鳴きました。月の位置が移るに從つて夜は凉しく沈んで、一體に身にしみじみとして來ました。庄次は到頭蚊帳の中へ身を横へました。何の爲に吠えるのか犬の聲が鋭く聞えます。遠くの方、又近くの方の村落で唄の聲が聞えたり止んだりします。若い村の男等はどうかすると夜はうろ/\と其處らを彷徨うて女を探しに歩くのであります。彼等はそれ相應に女に好かれようとして服裝《みなり》に心を苦しめるのであります。何處の村落にも兵隊歸りが彼等の間に異色を帶びて居ます。それが彼等の風俗を變化させるのであります。
 併しながら庄次はさういふ仲間と表面は甚だしい疎遠《ちがい》はなくてもそれに感染《かぶ》れるやうなことは苟且《かり》にもありませんでした。彼は八釜敷い爺さんの躾を受けて幼少の時分から農作に我が趣味の全部を奪はれて居たのであります。
 この夜彼れは自分の職業の趣味といふ事を理窟なしに感じて居ました。庄次は番人といふ責任を考へて居たので平生とは違つて眠くはならなかつた。で毎日行く市場のことなどを考へて居ました。夜が深けるに隨つて空氣の凉しさが一しほ沈んで身にせまつて來るかと思ふと、周圍の蜀黍の葉は猶更にこの番人を眠らせまいとするやうに酷くざわ/\と騷ぐのであります。其度毎にだぶ/\の蚊帳の裾が吹きまくられて、時々彼れの頬をさすりました。そして耳がだん/\冴えて來ますと、彼はすぐ自分の小舍に近い木戸口のあたりに何かは知らぬが、こそ/\と音がしては又止むのを聞きました。彼れは心の所爲《せゐ》かと
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