》つたんでがすから」被害者《ひがいしや》は熱心《ねつしん》にいつた。勘次《かんじ》は其《その》時《とき》不安《ふあん》な態度《たいど》でぽつさりと自分《じぶん》の庭《には》に立《た》つた。彼《かれ》は既《すで》に巡査《じゆんさ》の檐下《のきした》に立《た》つてるのを見《み》て悚然《ぞつ》とした。
「勘次《かんじ》、此《こ》の竹《たけ》はどうしたんだな」巡査《じゆんさ》は横目《よこめ》に勘次《かんじ》を見《み》ていつた。
「わし此《こ》らあ、蜀黍《もろこし》伐《き》つて引《ひ》つ懸《か》けべと思《おも》つたんでがす」
「うむ、此《こ》の粒《つぶ》の零《こぼ》れたのはどうしたんだ、蜀黍《もろこし》なんだらう此《こ》れは」
「へえ、なに、わしが一攫《ひとつか》み引《ひ》つ扱《こ》いて來《き》て見《み》たの打棄《うつちや》つたんでがした」勘次《かんじ》は恁《か》ういつて蒼《あを》く成《な》つた。巡査《じゆんさ》は更《さら》に被害者《ひがいしや》に勘次《かんじ》の畑《はたけ》を案内《あんない》させた。悄然《せうぜん》として後《あと》に跟《つ》いて來《く》る勘次《かんじ》を要《えう》はないからと巡査《じゆんさ》は邪慳《じやけん》に叱《しか》つて逐《お》ひやつた。勘次《かんじ》の畑《はたけ》の蜀黍《もろこし》は被害者《ひがいしや》がいつたやうに、情《なさけ》ないやうな見窄《みすぼ》らしい穗《ほ》がさらりと立《た》つてそれでも其《そ》の恐怖心《きようふしん》に驅《か》られたといふやうに特有《もちまへ》な一|種《しゆ》の騷《さわ》がしい響《ひゞき》を立《た》てつゝあつた。穗《ほ》は一《ひと》つも伐《き》つてはなかつた。
「此《こ》れだからわし云《い》つたんでがす、ねえそれ、此《こ》の粒《つぶ》でがすかんね」被害者《ひがいしや》は威勢《ゐせい》が出《で》た。
「稻《いね》つ束《たば》擔《かつ》ぐんだつて、わし等《ら》口《くち》へ出《だ》しちや云《ゆ》はねえが、ちやんと知《し》つてんでがすから、さう云《い》つちや何《なん》だが其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことするもなあ、極《きま》つたやうなもんですかんね」被害者《ひがいしや》は更《さら》に手柄《てがら》でもしたやうにいつた。
「もう解《わか》つたから、それぢや自分《じぶん》の仕事《しごと》をするがいい、後《のち》にわしが申報書《しんぱうしよ》を拵《こしら》へて來《き》て遣《や》るから、それへ印形《いんぎやう》を捺《お》せばそれで手續《てつゞき》は濟《す》むんだからな」巡査《じゆんさ》はさういつてさうして被害者《ひがいしや》が
「そんぢや、わし蜀黍《もろこし》隱《かく》して置《お》く處《とこ》見出《めつけ》あんすから、屹度《きつと》有《あ》んに極《きま》つてんだから」といふ聲《こゑ》を後《あと》にして畑《はたけ》の小徑《こみち》をうねりつゝ行《い》つた。
「今度《こんだ》こさあ、捕縛《つかま》つちや一杯《いつぺえ》に引《ひ》つ喰《く》らあんだんべ」畑同士《はたけどうし》は痛快《つうくわい》に感《かん》じつゝ口々《くち/″\》に恁《か》ういふことをいつた。
「おつう俺《お》らとつても今度《こんだあ》駄目《だめ》だよ」勘次《かんじ》は果敢《はか》ない自分《じぶん》の心持《こゝろもち》を唯《ゆゐ》一の家族《かぞく》であるおつぎの身體《からだ》へ投《な》げ掛《か》けるやうに萎《しを》れ切《き》つていつた。勘次《かんじ》は衷心《ちうしん》から恐怖《きようふ》したのである。其《そ》れ程《ほど》ならば何故《なぜ》彼《かれ》は蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を伐《き》ることを敢《あへ》てしたのであつたらうか。彼《かれ》は此《こ》れまでも畑《はたけ》の物《もの》を盜《と》つたのは一|度《ど》や二|度《ど》ではない。其《そ》れは些少《させう》であつたが彼《かれ》は盜《と》りたくなつた時《とき》機會《きくわい》さへあれば何時《いつ》でも盜《と》りつゝあつたのである。彼《かれ》は身《み》を殺《ころ》さうとまで其《そ》の薄弱《はくじやく》な意思《いし》が少《すこ》しのことにも彼《かれ》を苦《くる》しめる時《とき》、彼《かれ》を衝動《そそ》つて盜性《たうせい》がむか/\と首《くび》を擡《もた》げつゝあつたのである。勘次《かんじ》はもう仕事《しごと》をする處《どころ》ではない。彼《かれ》は到底《たうてい》寸時《すんじ》も其《そ》の家《いへ》に堪《た》へられなく成《な》つて、隣《となり》の彼《かれ》の主人《しゆじん》に縋《すが》らうとした。其《そ》の閾《しきゐ》を越《こ》すことが彼《かれ》にはどれ程《ほど》辛《つら》かつたか知《し》れぬ。主人《しゆじん》は不在《ふざい》であつた
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