ういつた。卯平《うへい》は目《め》を蹙《しが》めた。彼《かれ》は闇夜《あんや》にずんずんと運《はこ》んだ足《あし》が急《きふ》に窪《くぼ》みを踏《ふ》んでがくりと調子《てうし》が狂《くる》つたやうな容子《ようす》であつた。
「明日《あした》、要《え》れば出《だ》してやんびやな、爺等《ぢいら》どうせ夜《よる》なんぞ要《え》りやすめえしなあ」おつぎは又《また》賺《すか》すやうにいつた。卯平《うへい》はもう反覆《くりかへ》していはなかつた。彼《かれ》は只《たゞ》其《その》癖《くせ》の舌《した》を鳴《な》らしてごくりと唾《つば》を嚥《の》むのみであつた。次《つぎ》の朝《あさ》に成《な》つて酒氣《しゆき》が悉《こと/″\》く彼《かれ》の身體《からだ》から發散《はつさん》し盡《つく》したら彼《かれ》は平生《へいぜい》の卯平《うへい》であつた。

         二四

 卯平《うへい》は決《けつ》して惡人《あくにん》ではなかつた。彼《かれ》は性來《せいらい》嚴疊《がんでふ》で大《おほ》きな身體《からだ》であつたけれど、其《そ》の蹙《しか》めたやうな目《め》には不斷《ふだん》に何處《どこ》か軟《やはら》かな光《ひかり》を有《も》つて居《ゐ》るやうで、思《おも》ひ切《き》つてせねば成《な》らぬ事件《じけん》に出逢《であ》うても二|度《ど》や三|度《ど》は逡巡《しりごみ》するのがどうかといへば彼《かれ》の癖《くせ》の一つであつた。ぶすりと膠《にべ》ない容子《ようす》でも表面《へうめん》に現《あらは》れたよりも暖《あたゝ》かで、女《をんな》に脆《もろ》い處《ところ》さへあるのであつた。彼《かれ》が盛年《さかり》の頃《ころ》に他人《たにん》の目《め》についたのは、自分自身《じぶんじしん》の仕事《しごと》には餘《あま》り精《せい》を出《だ》さないやうに見《み》えることであつた。大概《たいがい》のことでは一|向《かう》に騷《さわ》がぬやうな彼《かれ》の容子《ようす》が外《ほか》からではさうらしくも見《み》えるのであつた。も一つは服裝《ふくさう》を決《けつ》して崩《くず》さぬことであつた。彼《かれ》は他人《たにん》に傭《やと》はれて居《ゐ》ながら、草刈《くさかり》にでも出《で》る時《とき》は手拭《てぬぐひ》と紺《こん》の單衣《ひとへもの》と三|尺帶《じやくおび》とを風呂敷《ふろしき》に包《つ
前へ 次へ
全478ページ中405ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング