る。
長塚君は不幸にして喉頭結核にかゝつて、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大學の久保博士からの來書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだらう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の爲に、「土」に就いて是丈の事を云ひ得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを讀む義務はないと云つたと、わざ/\余に報知して來たものがあつた。其時余は此文士は何の爲に罪もない「土」の作家を侮辱するのだらうと思つて苦々しい不愉快を感じた。理窟から云つて、讀まねばならない義務のある小説といふものは、其小説の校正者か、内務省の檢閲官以外にさうあらう筈がない。わざ/\斷わらんでも厭なら厭で默つて讀まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから讀む義務はないと云ふなら、其人は唯名前丈で小説を讀む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に對して、たとひ無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があつて然るべきだと思ふ。余は「土」の作者が病氣だから、此場合には猶ほ更らさう云ひたいのである。
[#地から1字上げ](明治四十五年五月)
[#改丁]
一
烈《はげ》しい西風《にしかぜ》が目《め》に見《み》えぬ大《おほ》きな塊《かたまり》をごうつと打《う》ちつけては又《また》ごうつと打《う》ちつけて皆《みな》痩《やせ》こけた落葉木《らくえふぼく》の林《はやし》を一|日《にち》苛《いぢ》め通《とほ》した。木《き》の枝《えだ》は時々《とき/″\》ひう/\と悲痛《ひつう》の響《ひゞき》を立《た》てゝ泣《な》いた。短《みじか》い冬《ふゆ》の日《ひ》はもう落《お》ちかけて黄色《きいろ》な光《ひかり》を放射《はうしや》しつゝ目叩《またゝ》いた。さうして西風《にしかぜ》はどうかするとぱつたり止《や》んで終《しま》つたかと思《おも》ふ程《ほど》靜《しづ》かになつた。泥《どろ》を拗切《ちぎ》つて投《な》げたやうな雲《くも》が不規則《ふきそく》に林《はやし》の上《うへ》に凝然《ぢつ》とひつゝいて居《ゐ》て空《そら》はまだ騷《さわ》がしいことを示《しめ》して居《ゐ》る。それで時々《とき/″\》は思《おも》ひ出《だ》したやうに木《き》の枝《えだ》がざ
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