《こ》の地《ち》を襲《おそ》うた暴風《ばうふう》の爲《ため》に、厚《あつ》い草葺《くさぶき》の念佛寮《ねんぶつれう》はごつしやりと潰《つぶ》された。其《そ》の時《とき》は幾多《いくた》の民家《みんか》が猶且《やつぱり》非常《ひじやう》な慘害《さんがい》を蒙《かうむ》つて、村落《むら》の凡《すべ》ては自分《じぶん》の凌《しの》ぎが漸《やつ》とのことであつたので、殆《ほと》んど無用《むよう》である寮《れう》の再建《さいこん》を顧《かへり》みるものはなかつた。さういふ間《あひだ》に他人《たにん》の林《はやし》に鉈《なた》を入《い》れねば薪《たきゞ》が獲《え》られぬ貧乏《びんばふ》な百姓等《ひやくしやうら》がこそ/\と寮《れう》の木材《もくざい》を引《ひ》いた。漸《やつ》とのことで現今《いま》の寮《れう》が以前《いぜん》の幾分《いくぶん》の一の大《おほ》きさに再建《さいこん》されるまでには其《そ》の棚《たな》も無残《むざん》な鋸《のこぎり》の齒《は》に掛《かゝ》つて居《ゐ》たのである。それでも、老人等《としよりら》は念佛《ねんぶつ》の復活《ふくくわつ》したことに十|分《ぶん》の感謝《かんしや》と滿足《まんぞく》とを有《も》つた。彼等《かれら》はそこに老後《らうご》に於《お》ける無上《むじやう》の娯樂《ごらく》と慰藉《ゐしや》とを發見《はつけん》しつゝあるのである。
 太鼓《たいこ》が撥《ばち》と共《とも》にぽつさりと置《お》かれて悉皆《みんな》窮屈《きうくつ》な圍爐裏《ゐろり》の邊《あたり》に聚《あつま》つた。寮《れう》の内《うち》も明《あか》るく成《な》つて立《た》ち騰《のぼ》る焔《ほのほ》の光《ひかり》が稍《やゝ》消《け》されて來《き》た。近所《きんじよ》の百姓《ひやくしやう》の雨戸《あまど》を開《あ》ける音《おと》が性急《せいきふ》にがたぴしと聞《きこ》えた。庭《には》へおりた※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にはとり》が欠伸《あくび》でもするやうに身體《からだ》を反《そ》らしながら、放心《うつかり》して居《ゐ》てまだ鳴《な》き足《た》らなかつたといふ容子《ようす》をして喉《のど》の痛《いた》い程《ほど》鳴《な》くのが聞《きこ》えた。何處《どこ》の家《いへ》にも青《あを》い煙《けぶり》が廂《ひさし》を偃《は》うて騰《のぼ》つた。
 老人等《としよりら》は一先
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