》野田《のだ》への立《た》ち際《ぎは》がよくなかつたことを彼自身《かれじしん》の心《こゝろ》にも悔《く》ゆる處《ところ》があつたので強《し》ひて厭《いや》な勘次《かんじ》へ挨拶《あいさつ》をして一時《いつとき》なりとも肩身《かたみ》を狹《せま》くせねばならないのを厭《いと》うて遂《つひ》憶劫《おくくふ》に成《な》るのであつた。年齡《とし》を積《つ》むに從《したが》つて短《みじか》く感《かん》ずる月日《つきひ》がさういふ間《あひだ》に循環《じゆんくわん》して、くすんで見《み》えることの多《おほ》い江戸川《えどがは》の水《みづ》を往復《わうふく》する通運丸《つううんまる》の牛《うし》が吼《ほ》えるやうな汽笛《きてき》も身《み》に沁《し》みて、冬《ふゆ》の寒《さむ》さが酷《ひど》くなると以前《いぜん》からの癖《くせ》で腰《こし》に疼痛《いたみ》を感《かん》ずることがあつた。藏《くら》の傭人《やとひにん》の爲《ため》に抱《かゝ》へてある醫者《いしや》に見《み》て貰《もら》つても、老病《らうびやう》だから藥《くすり》を飮《の》んで見《み》た處《ところ》で、さう效驗《きゝめ》が見《み》えるのではないがそれでも、飮《の》みたけりや飮《の》むが善《い》いといふのみで別段《べつだん》身《み》に沁《し》みていつてくれるのでもない。卯平《うへい》は幾《いく》ら飮《の》んでも自分《じぶん》の懷《ふところ》が痛《いた》まないのだからと思《おも》つて見《み》ても醫者《いしや》のいふ通《とほ》りどうもはき/\としないので晝間《ひるま》は成《な》るべく蒲團《ふとん》にくるまる樣《やう》にして居《ゐ》た。
 卯平《うへい》は年末《ねんまつ》の出代《でがはり》の季節《きせつ》になれば其《そ》の持病《ぢびやう》を苦《く》にして、奉公《ほうこう》もどうしたものかと悲觀《ひくわん》することもあるが、我慢《がまん》をすれば凌《しの》げるので遂《つひ》居据《ゐすわ》りに成《な》つて居《ゐ》るうちに何時《いつ》でも春《はる》の季節《きせつ》に還《かへ》つて、郊外《かうぐわい》に際涯《さいがい》もなく植《うゑ》られた桃《もゝ》の花《はな》が一|杯《ぱい》に赤《あか》くなると其《そ》の木陰《こかげ》の麥《むぎ》が青《あを》く地《ち》を掩《おほ》うて、江戸川《えどがは》の水《みづ》を溯《さかのぼ》る高瀬船《たかせぶね》
前へ 次へ
全478ページ中260ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング