は》へ出《で》た。直《す》ぐに洗《あら》つた鍋《なべ》と手桶《てをけ》を持《も》つて暗《くら》い庭先《にはさき》からぼんやり戸口《とぐち》へ姿《すがた》を見《み》せた。閾《しきゐ》へ一寸《ちよつと》手桶《てをけ》を置《お》いてお品《しな》と顏《かほ》を見合《みあは》せた。手桶《てをけ》の水《みづ》は半分《はんぶん》で兩方《りやうはう》の蒟蒻《こんにやく》へ水《みづ》が乘《の》つた。
お品《しな》は三|人連《にんづれ》で東隣《ひがしどなり》へ風呂《ふろ》を貰《もら》ひに行《い》つた。東隣《ひがしどなり》といふのは大《おほ》きな一構《ひとかまへ》で蔚然《うつぜん》たる森《もり》に包《つゝ》まれて居《ゐ》る。
外《そと》は闇《やみ》である。隣《となり》の森《もり》の杉《すぎ》がぞつくりと冴《さ》えた空《そら》へ突《つ》つ込《こ》んで居《ゐ》る。お品《しな》の家《いへ》は以前《いぜん》から此《こ》の森《もり》の爲《た》めに日《ひ》が餘程《よほど》南《みなみ》へ廻《まは》つてからでなければ庭《には》へ光《ひかり》の射《さ》すことはなかつた。お品《しな》の家族《かぞく》は何處《どこ》までも日蔭者《ひかげもの》であつた。それが後《のち》に成《な》つてから方方《はう/″\》に陸地測量部《りくちそくりやうぶ》の三|角測量臺《かくそくりやうだい》が建《た》てられて其《その》上《うへ》に小《ちひ》さな旗《はた》がひら/\と閃《ひらめ》くやうに成《な》つてから其《その》森《もり》が見通《みとほ》しに障《さは》るといふので三四|本《ほん》丈《だけ》伐《き》らせられた。杉《すぎ》の大木《たいぼく》は西《にし》へ倒《たふ》したのでづしんとそこらを恐《おそ》ろしく搖《ゆる》がしてお品《しな》の庭《には》へ横《よこ》たはつた。枝《えだ》は挫《くぢ》けて其《その》先《さき》が庭《には》の土《つち》をさくつた。それでも隣《となり》では其《その》木《き》の始末《しまつ》をつける時《とき》にそこらへ散《ち》らばつた小枝《こえだ》や其《その》他《た》の屑物《くづもの》はお品《しな》の家《いへ》へ與《あた》へたので思《おも》ひ掛《が》けない薪《たきゞ》が出來《でき》たのと、も一《ひと》つは幾《いく》らでも東《ひがし》が隙《す》いたのとで、隣《となり》では自分《じぶん》の腕《うで》を斬《き》られたやうだと惜《
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