ちふ奴等は一晩に三十兩も四十兩も遣つて騷ぐやうなことするからいつでも貧乏だ
抔といふ話でダイトクモツコのことは明瞭ではなかつたが、どんなものかといふだけは畧解かつた、暫くすると彼は問はれもせぬのに饒舌り出した、
「お月さまの下のあたりはひどいぜ雲が、どこかしぐれてるんだ、それから今夜はこんなに寒いんだが、ことしの冬は寒くねえな、ゆんべらのぬくかつたことは酷かつたぜ、俺らゆんべワカサギ燒くのでよつぴて寢ねえつちまつたけれど……ことしは西風が少ねえが一西吹いたら寒かんべえよ、こなひだナラエが一遍吹いたので霜が降つたつけ、ナラエが筑波山の方から吹いてくるんだ
彼はかく語つてどてらに包まつた儘ごろつと横になつた、余もずりこけて居た四布蒲團を肩のあたりへ引きあげた、振り返つて見ると筑波の山は月の光によつてうすらに見える。彼は首を擡げて
「旦那、旦那はどこだね、ぶしつけだが
と問うた、余は鬼怒川の沿岸であるといふと
「俺ア十二三に水海道に居たことがあつたつけ、鬼怒川では鮭が捕れたな、甘かつたな鬼怒川の鮭は、土浦なんぞへも鬼怒川の鮭だなんて賣りに來るがみんな那珂川だ、鬼怒川のがなんぞ持つて來たつて賣り切れやしねえから駄目だ、ヤマベも捕れたな、ヤマベは霞が浦でも捕れるが喰ひ手がねえや不味くつて、それでも櫻川へのぼつたのを釣つたないくらか甘めえ相だ、俺がなあ、一遍|宗道《そうだう》へ行つたところがな、皿へヤマベを付けて出したから、ヤマベなんぞ出してひでえ所だと思つたが折角出したんだからと思つて一箸くつて見たら甘えんで魂消た、百にいくらだつて聞いたら八匹だとか九匹だとかいふから、それぢや俺らが方のヤマベ持つてきて賣つたらよかんべ百に二十匹位するんだなんて云つたら、おめえ等の方のヤマベなんざア喰ふものがあるもんかつて笑らあれたつけ
と彼れにしては不似合な愛嬌話である、
寒さが身に浸みてきたので余はもう皈らうと思つたから右手に見える蘆の所へ舟をつけさして見た、蘆の間からは遙かに向うの停車場のともし灯が輝いて見える、蘆の内側は停車場まで一帶の水田になつて居る、船頭はまた煙管を取り上げてつまつた脂を吹いては小べりへこつ/\と雁首を叩いて語り出した、
「俺らもこゝを作つて居たが取れる時にや十二俵どれの所で四俵の年貢だから七八俵ものこるんだが、ことしのやうに水ばかり冠つちや一粒も取れやしねえ、七八年このかたいつでも不作だ、出來る年にや馬鹿に出來るんだが出來過ぎてぶつ倒れつちまふんだからこれも仕やうがねえんだ、それから俺ら今ぢやこゝらあ作らねえで上の方ばかりだ
といふ所を見ると彼は百姓もするのである、
丈は一丈もある蘆が淋しくさら/\と靡いて居るが月の光に照されて居る枯穗がくろずんで見えるので怪しんで問うて見ると水が出た時汚れたんだらうといふことであつた、八月末の暴風雨の折には殆んど海嘯のやうに波浪が押し寄せたのでこの沿岸の人家も非常な損害を受けたのであつたが彼の家などもその時既に危かつたとのことである、
「三味線屋の三階もあぶなく吹つ倒されるんだつけがそんでもいゝ鹽梅に大工が駈けつけてそつちへ棒をかつたりこつちへ棒をかつたりしてやつと助かつたんだ、俺れが知つてる男があの時死んちまつた、なんでも逃げ出したのを戻つて行つたら舟がひつくる返つて死んだんだ相だ、跡で見たら往來だつけとよ
ともう横には成らなかつた、余は計らず彼の口から自分の泊つた宿屋が三味線屋といふのであることを知つた、彼はまた思ひ出したかのやうに
「旦那、松が關ツちふ相撲知つてるかね
と問うたので余は囘向院の相撲で嘗て見たことを話すと彼は乘地になつたといふ鹽梅で
「ありやなんだ石岡の酒藏に米搗をして居たんだがとう/\相撲になつちまつた、それから土浦へ來た時なんざあ石岡の旦那等が大變だつけ、小錦等もそん時三味線屋へ泊つたんだ
彼の思ひの外なる饒舌を聞いて居るうちに月はずん/\上つて怪しげな雲も漸く手を擴げてきたので余はもういゝ加減に舟を返すべく命じた、船頭は頗る相撲好きと見えて櫓を押すのにも口をやめない、
「土浦にも部屋があつたんだ、なか/\たいしたものよそりや、三段目位な奴等はみんなぶつこまれたんだからな、宮の森なんちふのは躰はねえが手どりでななか/\能くとれたぜ、俺らが知つたのぢやあんでも鐵嵐ら一しきりとれたな、出羽から強えのがきたつけが鐵嵐のこたあなんとしても動かなかつたな、あれでも腹袋はたいしたもんだつけな、荷車で引つ張つてあるかなくつちや唯の車ぢやへえらねえつちんだからな
余はよき程に挨拶をして居るうちに舟は恙なく三味線屋の店先についた、店先はひつそりして居た、便所に向つた梯子段の下に女が五六人
「お二階の南京さんにからかつてやりましよう
と云つて居た、[#地から1字
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング