ねえ、七八年このかたいつでも不作だ、出來る年にや馬鹿に出來るんだが出來過ぎてぶつ倒れつちまふんだからこれも仕やうがねえんだ、それから俺ら今ぢやこゝらあ作らねえで上の方ばかりだ
といふ所を見ると彼は百姓もするのである、
丈は一丈もある蘆が淋しくさら/\と靡いて居るが月の光に照されて居る枯穗がくろずんで見えるので怪しんで問うて見ると水が出た時汚れたんだらうといふことであつた、八月末の暴風雨の折には殆んど海嘯のやうに波浪が押し寄せたのでこの沿岸の人家も非常な損害を受けたのであつたが彼の家などもその時既に危かつたとのことである、
「三味線屋の三階もあぶなく吹つ倒されるんだつけがそんでもいゝ鹽梅に大工が駈けつけてそつちへ棒をかつたりこつちへ棒をかつたりしてやつと助かつたんだ、俺れが知つてる男があの時死んちまつた、なんでも逃げ出したのを戻つて行つたら舟がひつくる返つて死んだんだ相だ、跡で見たら往來だつけとよ
ともう横には成らなかつた、余は計らず彼の口から自分の泊つた宿屋が三味線屋といふのであることを知つた、彼はまた思ひ出したかのやうに
「旦那、松が關ツちふ相撲知つてるかね
と問うたので余は囘向院の相撲で嘗て見たことを話すと彼は乘地になつたといふ鹽梅で
「ありやなんだ石岡の酒藏に米搗をして居たんだがとう/\相撲になつちまつた、それから土浦へ來た時なんざあ石岡の旦那等が大變だつけ、小錦等もそん時三味線屋へ泊つたんだ
彼の思ひの外なる饒舌を聞いて居るうちに月はずん/\上つて怪しげな雲も漸く手を擴げてきたので余はもういゝ加減に舟を返すべく命じた、船頭は頗る相撲好きと見えて櫓を押すのにも口をやめない、
「土浦にも部屋があつたんだ、なか/\たいしたものよそりや、三段目位な奴等はみんなぶつこまれたんだからな、宮の森なんちふのは躰はねえが手どりでななか/\能くとれたぜ、俺らが知つたのぢやあんでも鐵嵐ら一しきりとれたな、出羽から強えのがきたつけが鐵嵐のこたあなんとしても動かなかつたな、あれでも腹袋はたいしたもんだつけな、荷車で引つ張つてあるかなくつちや唯の車ぢやへえらねえつちんだからな
余はよき程に挨拶をして居るうちに舟は恙なく三味線屋の店先についた、店先はひつそりして居た、便所に向つた梯子段の下に女が五六人
「お二階の南京さんにからかつてやりましよう
と云つて居た、[#地から1字
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