茫《べうばう》たる海洋は夏霞が淡く棚曳いたといふ程ではないがいくらかどんよりとして唯一抹である。じつと見て居ると何處からか胡粉《ごふん》を落したといふ樣にぽちつと白いものが見え出した。漁舟である。二つも三つも見え出した。白帆はもとからそこにあつたのだ。尚じつと見つめて居るとぽちつと白いのが段々自分へ逼《せま》つて來るやうに思はれる。遠くはすべてがぼんやりである。谷の梢や胡蝶花の花や樅の眞白な板や近いものは近いだけ鮮かである。さうして最も近いものはお秋さんである。お秋さんは背負子を岩の上に乘せてくるりと背中を向けて背負つた。
妙見越《めうけんごえ》を過ぎると頂上で、杉の大木が密生して居る。そこにも羊齒《しだ》や笹の疎らな間にほつほつと胡蝶花の花がさいて居る。一層しをらしく見える。清澄寺の山門まで來ると山稼ぎの女が樅板を負うたのや炭俵を負うたのが五六人で休んで居る。孰《いづ》れも恐ろしい相形《さうぎやう》である。山稼ぎの女はいくらあるか知れぬがお秋さん程のものは甞て似たものさへも見ないのである。彼等とならんだお秋さんは恰《あたか》も羊齒《しだ》の中の胡蝶花の花である。寺の見收めといふ積りで山門をのぞいて見たら石垣の上の一|畝《うね》の茶の木を白衣の所化《しよけ》が二人で摘んで居る所であつた。山門の前には茶店が相接して居る。自分は一足さきに出拔けて振り返つて見たらお秋さんは背負子を負うた儘婆さん達に取り卷かれて話をして居る。たまたま谷底から出て來ると互に珍らしいのだ。攫《つかま》へて放されないのだらうと思つた。お秋さんは人に好かれるといふのは極つて居ることなのだ。自分は規則正しく植ゑられた櫻の木の青葉の蔭に佇《たゝず》んで待つて見たがどういふものかお秋さんは遂に來ない。然し茶店まで戻つて見るといふこともしえなかつた。自分は急に油が拔けたやうな寂しい心持になつて宿へ歸つた。
清澄山は自分にはすべてが滿足であつた。然しお秋さんと言葉を交して別れなかつたことはどうしても遺憾である。針へ通した絲のうらを結ばないやうな感じである。
[#地から1字上げ](明治卅九年七月)
底本:「現代日本文学全集6 正岡子規 伊藤左千夫 長塚節集」筑摩書房
1956(昭和31年)6月15日発行
初出:「馬醉木」
1906(明治39)年7月
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2001年9月6日公開
2006年1月26日修正
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