マ」の注記]む筑波根も谿に迷はゞ八十日ゆき[#「ゆき」に「ママ」の注記]とも

さもあらずあるべきものをよそりなみ迷へる子等をあはれと思ひき

みな人よまさしき道も己だに求めて行かば行くべきものを

縣路《あがたぢ》の莠はしげししげけれど除きて棄てむ人もあらなく

茨城のうまし大野の秋の田も蒔かねばならずしかにあらずや

秋の田にまかぬにおふるおもだかも花さきしかばおもしろに見る

刈らゆれど嫁菜も花にさくものをやまず培へ園の植草

    憶友歌

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我が友瀧口玲泉は水戸の人にして早稻田出身の文士なり軍に從ひて近衞に屬し遼陽攻陷の際八月二十六日、大西溝の激戰に右腕に銃創を蒙り浪子山定立病院に收容せられぬ、予頃日水戸に遊びその家人に就きて具に状況を悉すをえたり。玲泉は予が交友中尤も快活なるもの、然も肉落ち眼窩凹めるの状を想見すれば一片哀憐の念禁ぜず、予は渠が創痍の速に癒えて後送せらるゝ日を待つや切なり、乃ち之に一書を贈り、末尾に短歌十五首を附す。素渠が苦悶を慰めむと欲せしに過ぎず、語句の斡旋の如きは必ずしも意を用ゐざるなり。
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眞痛みにいたむ腕を抱かひて臥すかあはれ諸越の野に

ますらをや痛手すべなみ黍の幹《から》を敷寢の床も去りがてにあらむ

もろこしは霜の降りきと聞きしかば痛手の惱みまして偲ばゆ

籠り居る黍の小床にこほろぎの夜すがら鳴かばいかにかも聞く

をのこやも務めつくせり垂乳根の母ます國へはや歸るべし

活けるもの死にするいくさ然にあるをいきてかへるに何か恨まむ

垂乳根の母がます國もとつ國うまし八洲はまさきくて見よ

那珂川に網曳く人の目も離《か》れず鮭を待つ如君待つ我は

かへりくとはやも來ぬかもうましらに秋の茄子はいまだみのれり

秋はいまは馬は肥ゆとふ故郷の縣の芋も肥えにたらずや

我が郷の秋告げやらむ女郎花下葉はかれぬ花もしをれぬ

ありつゝも見せまく欲しき蕎麥の花しぼまばつぎてをしね刈る見む

やすらかに胡麻の殼うつひな人に交りて居れば君をこそ思へ

待つ久に遇ふべくあるは青菜引く冬にかあらむいまかあふべき

かへらはゞ我郷訪ひこ見にまかれ足がまたけば手は萎《な》えぬとも[#ここから割り注](明治三十七年九月上旬作)[#ここで割り注終わり]
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 明治三十八年

    十月短歌會
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