も息をついた。思ひ/\に立つのも尚どつかと坐して居るのもある。少し茫然としつゝ余も立つた。人々と此の家の一間々々を見て歩いた。余はふと茶盆を持つたおゑんさんを遠くから人越しに見た。おゑんさんは余を見て人の間を掻き分けるやうにして來て余に茶を侑めた。おゑんさんの化粧は矢張り巧で且つ美しいのであつた。漸く人々が歸りかける。余はおゑんさんを尋ねて再び逢つた。壬生寺へ行く道を聞いた。おゑんさんはまだ狂言は見られるだらうと、此處からかう裏門を出て千本通をずつと行けばよいと懇に教へてくれた[#「教へてくれた」は底本では「教へてれた」]。余はおゑんさんのいふ通りに千本通といはれた田甫をずん/\と辿る。廓の外はすぐに田甫である。田甫へ出て外から見ると島原は只時代を帶びた地味な一廓であるに過ぎぬ。菜の花が田甫に近く續いて強い南風にゆさぶれて居る。泣き出し相に低い空が西の山々とくつゝいて薄墨をまけたやうに山々を更にぼんやりとさせて居る。山の間へ狹く平地が走つて居る。菜の花は斷續して其平地の限りにぼんやりと見える。白く乾いた田甫の地は吹き立てられて、菜種の葉が一枚々々皆白く其埃を浴びて居る。足もとの溝には水の上にも埃が浮いて居る。前後に人がぞろ/\と歸りつゝある。田甫の遙か先には菜の花の上に甍が聳えて見える。それが壬生寺であらうと思ひつゝ余は急いだ。余は歩きながら太夫のことを心に浮べた。緞子の間で河井さんは此處へ太夫を坐らせればよいのだといつた。道中の姿を見ると太夫が一人でも徒らに廣い座敷は塞るのだといふことを合點した。太夫は全身人工的に裝飾されて居る。然し只一點素肌を見せるのは足の爪先三四寸である。太夫が肌膚を誇らうとする處はこの三四寸以外にはない。墨塗の大きな下駄に乘せて赤い裾から蹴出す足はくつきりと白く且つ小さく見えねばならぬ。さうして太夫は恐らく常人の思ひ知らぬ程其足の爪先に苦勞するのではあるまいか抔と思ひつゝ歩いた。余の前に噺しながら行く二人連がある。能く見ると先刻の手代である。先代の小太夫はよかつたと一人のいふのがちらりと耳にはひつた。余は道中の最後に出た小太夫のきらびやかな姿を思ひ浮べて且つ其先代の小太夫といふのを想像して見た。壬生寺であらうと思ふ甍がだん/\大きく見えて來た。余はふと切な相にゆさぶられて居る菜の花を後にして路傍に一人の乞食が坐して居るのを見た。老年の男の乞
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