りなした無数の驚異が秋の夕の星のやうに漂ふてゐるかも知れない。たゞあはれな人間の眼には梢の頬白や、梢の白い天人椿の花弁のみが見られるだけで、それ以上のちからのあらはれは私たちの意識には映らないのかも知れない。音や色彩ですらも私たちの耳や眼に達するものは、物理学上の約束の内に限られてゐるではないか。私たちは一定の範囲内の振動をのみ感ずることができる。その埒外に置かれたるいのちの表現を知ることはできない。
森といふ森、曠野といふ曠野は悉く眼に見えざる不可思議なものによつてつゝまれてゐる。私たちは紅い花弁を発見した。白い翅の羽叩きを聴いた。しかしそれが何であらう。限りないいのちの表現としてそれはあまりに貧しい表現ではないか。かぎりもない美しさ、かぎりもない明るさ、かぎりもない幸福が自然といふ自然のなかに湛へられてゐるであらう。私たちは少かに自然の窓を透して、かすかに洩れて来る法悦のさゝやきや、静かに漂ふて来る久遠の楽の音を聴くのみである。私たちが見る自然――いのちの表現としての――は、たゞ少かにその窓口から覗いてゐる一輪の花弁に過ぎない。殿堂の奥から流れて来る楽の余韻に過ぎない。私たちから
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