の保護に託した。この出来事があってから二年後に、キャロリーヌは父の妻となったのだ。
私の両親の齢はだいぶ違っていたが、こういう事情はかえって、献身的な愛情のきずなで、いっそうこまやかに、二人を結びつけるように見えた。父のまっすぐな心のなかには正義感があって、そのために、強く愛することを大いによしとせずにはいられなかったのだ。おそらく父は、はじめ何年かは、晩年になってわかった親友の感心できない点に気を病み、またそれだけに、信頼のおける人間的値うちには、その分だけよけいに尊敬の念を寄せた。父の母に対する愛着には、老人の溺愛からとはてんで違う、感謝と尊敬のしるしがあった。というのは、それは、母の美徳に対する尊敬の念や、またある程度までは、母が堪えてきた悲しみを償うことにやくだちたいという願いから出たものであったからだが、そのために父の母に対するふるまいには、なんともいえない優しさがこもっていた。あらゆることが母の望みと便宜にかなうようにされた。庭師が異国のりっぱな植物を庇うように、父は母をあらゆる荒い風から庇い、母のおとなしい情深い心に楽しい感情をおこさせるものなら、なんでもそのまわりに取り揃えてやるように努力した。母の健康は、いや、これまで変りのなかったその精神の穏かさでさえ、母がくぐりぬけてきた苦労のために、だいぶ不安になっていたのだ。結婚に先立つ二年間に、父はだんだんと、あらゆる公職を辞めてしまっていたので、いっしょになるとすぐ、母の弱った身心を恢復させるために、イタリアの快適な風土と、このすばらしい国の旅に伴う風景や興味の変化を求めた。
二人は、イタリアからさらに、ドイツとフランスを訪れた。最初の子である私は、ナポリで生れ、赤ん坊のまま両親の漫遊に伴れられていった。数年間は子どもというのは私ひとりだった。親たちはすこぶる仲がよかったが、私というものがあればこそ授かった愛の富源から、愛情の汲み尽しがたい貯えを引き出しているように見えた。母のやさしい愛撫と、父の私を見守るときの慈愛にみちた喜ばしい微笑が、私の最初の思い出なのだ。私は両親の玩具であり偶像であった。いや、もっとよいもの――天から授かった無力なあどけない被造物としての子どもで、良く育てあげなければならないものであり、その将来の運が、私に対する義務を果すかどうかで、親たちの手で幸か不幸かに岐《わか》れるも
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