しかし、それにもかかはらず、舊い習慣と社會的の墮力とが、まだ殘つてゐて、私の父は村の戸長であり、私の家は戸長役場でありました。そして、その村がまた、近隣のどこの村でも持つてゐない金色燦然たる神輿を持ち、立派な山車を持ち、それが、とても大きな村の誇りであり、私の家の誇りでありました。鎭守の祭りの時はその山車も、その神輿も、鎭守の森から出て、私の家の庭前に來て止まるのを例としました。寺なども私の生家が獨自で建立したもので、棟木にはその事が書かれてあつたといふことでした。宗旨は眞言宗で、住職の法印は可なり有徳の老僧でありました。私の家の二階の一室には護摩《ごま》壇が備へてあつて、毎月一、二回その老法印が來て護摩を焚き、不動、慧智の修法を行ふのでありました。
 ところが、私は或る時、この護摩壇の奧にある本尊樣を摘發して子供心を驚かせたことがあります。それは錦の袋に包まれた二重の筒で、その筒も金色に輝いてゐました。私は恐る恐る、その筒を開けると、何ぞ計らん、現はれ出でたのは象の形を具へた二體の怪物が相抱擁してゐる姿でありました。私は最初それは不動尊像ででもあらうかと想像したのであるが、意外の祕密が顯はれたので、子供ながら些かの羞恥と驚きとを感じ、急いでそれを元通りのところに据ゑました。家人は護摩壇のあるところを聖天樣とも云つてゐましたから、この怪物は多分大聖歡喜天像で、おそらく生殖の神を象徴したものでありませう。これは御不動樣と聖天樣とを混同したのかどうか、私は知らないが、火を焚いて祈願するのは拜火教から始つた修法かも知れません。
 少年のころ父の物語に聞いたことでありますが、父が近隣町村の人々と大勢打連れて成田山に參けいし護摩の修法を要請したところ山僧達は代る代る出て接待に努めたが、終り頃に出て來た老僧は父の住所氏名に眼を止めて、些か驚いた樣で態度も改まり、やがて別室に招じ入れて大へん懇ろにもてなしてくれたとのことであります。成田山と何か特別の關係でもあつたのでありませう。成田不動の開帳が高崎市に營まれた際など、その大きな本尊の出張が汽車便に頼らずに、わざわざ利根川の船便を利用し、特に私の家に二三泊して、それからその巨大な厨子を村人達がかついで本庄驛に運び、そこで初めて汽車に遷しました。こんな方法を採つた事を思ひ合はせると、何かその間に特別な關係があつたのかも知れません。
 このやうに私の生家は私の少年時代にはまだ隨分賑はひました。それが兄の代になりますと、家も屋敷も人手に渡り、今はその痕跡さへも留めなくなりました。そのうへ因縁の深かつた菩提の寺も火事で燒失して、私には故郷そのものまでが亡くなつた感じを懷かせます。

     土着した祖先

「故郷(ペーイ・ナタル)を懷かしむ君の心持は吾々には珍しいことだ。江戸に遠くない所だといふが、その江戸といふ地名とエゾといふ名稱とには何か關係がないものだらうか、エゾとはアイヌの別名であるやうにも聞いたが、果してさうかね?」
 今度はポール翁が乘りだして來た。
「さあ、江戸とエゾとは或は語源を同じくするかも知れない。極く舊い頃には關東地方は『毛の國』と稱せられ、多毛人種の國であることを表明してゐたし、その多毛のアイヌを蝦夷と名づけ、江戸の地方は勿論エゾの住地であつたのだから、エゾが江戸に變つたのかも知れない。ただ近代ではエゾは北海道を意味し、北海道だけにしか純エゾ人は生存しない」
 と答へると
「ああ、さうか、しかし君の相貌はエゾ人種のそれであらうか、それとも他のモンゴール型か? どちらであらう?」
 と反問する。
「わたしの故郷の方面には古來朝鮮人が澤山に移住して來た歴史があり、僕の血統には恐らく朝鮮型が多分に混入してゐる」
「成るほど、さうか、高麗型か。それでは、君の故郷は朝鮮にも滿洲にもあらうし、或は海上遙かに遠いポリネシヤにも、インドネシヤにもある譯だらう」
 涯しもない廣いところに話は擴がつて行つた。そこで私は再びアイヌのことに戻り、利根川の名もフジ山の名も、皆アイヌ語から由來したもので、詳しく研究すると、日本の大部分の地名はアイヌ語に基くらしいといふことを語ると、ルクリュ翁は非常に興味深く感じ、
「ロシヤ及びシベリヤのムジクと日本のアイヌとは親密な血統關係があると説く學者もあるが、相貌の上から言へば、確かにさう言へるだらうね」
 と言ふのであつた。そして
「わたしの生家の五十嵐といふ姓なども或はアイヌ語系の名稱かも知れない。北國に多い姓であることも、その一徴證と言へる」
 といふ私の言葉を興味深きもののやうに聞いてゐた。曾てロンドンに國際博覽會が開かれた時、日本から送つたアイヌがそこで働いてゐたが、いつしか『東亞のトルストイ』といふ綽名が付せられて有名になつた。皮膚の色から見れ
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