たのです。わたしの腦裏にある澄子さんの姿が、行き會ふ娘さんの上に投影して、それが、わたしの魂をひつさらふのでありました。そして、一瞬の後には、その幻影は忽ち消えて、ただ寂しさのみがわたしの周圍を閉ざすのでありました。馬鹿々々しいが、仕方がなかつたのです。
ある時は、些かながら血痰を見るに至り、そのことが平民社の客員であり、援護者の一人であるドクトル加藤時次郎氏の耳に入り、兎も角も同氏の療養所であり、別莊でもある小田原海岸の家に招かれました。若い美しい咲子夫人の懇ろな御もてなしを受けて勿體なさは身にしみるばかりでした。晩餐の時など新鮮なお肴に冷いビールを傾けて、心ゆくまで勞つて下さる絶世の佳人と差し向ひになつて、わたしの魂は、忽然他の彼女のところに飛ぶのでした。この別莊に滯在中、平生たしなむ水泳を試みようと、裸體になつて、浪うつ濱べに足を入れては見ましたが、何かしら寄せくる浪の姿の怖ろしさに戰慄して、深入りすることができませんでした。死の一歩手前にあることを無意識に感じたのであらうか、いまだに、その時の心持が、いかにも病的な心持が、忘れ得ないのであります。
餘りにわたし個人の情哀史を物語りましたが、今かへり見ると、かうした惱みに纒はられるのも、その原因は最初の失敗から由來するものです。みな身から出た錆なのです。全我を傾けて社會運動に投じようと決心しながら、かうした事情から思ふ半分も活動し得なかつたことは今日かへり見ても殘念でたまりません。しかしまた他の一方から考へて見ると、この氣むづかしい心の状態から、わたしは自然に内省的になり思索的生活に傾いて行つたのであらうと思ひます。普通選擧の請願運動などの代表者になりながら、所謂政治家的の氣分に接すると、堪まらなく、いやになるのでした。或る時、幸徳と堺と揃つて世間話をしてゐた際に
「これから普通選擧が實施される時代も來るであらうが、その時代に最も幸福な境涯に立つものは石川君、君等だよ」
と幸徳が唱へ、堺がそれに和するのでした。そんな言葉を聞くと矢つ張りこの人達は政治家なんだと神經的にいや氣がさすのでした。ひねくれて、いぢけた當時の私には、ものごとを神經的に判斷することしか出來ませんでした。他の人の地位に立つて、その人の意向なり去就なりを、推量することが出來ませんでした。そして自分の殼を造つてその殼の中に閉ぢこもるやうに傾
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