く古風な、しかも可なりにひねくれた心の持ち方が現はれてゐます。これは恐らく少年時代の古い型の先輩達から受けた感化と、有爲轉變のはげしい浪に飜弄されて來た生活環境から育成された性格でありませう。まことに自ら醜いとは思ふのですが未だにこれを脱却し得ないのです。全我を捧げて平民社に飛び込んでいつたのでありますが、このひねくれのために同志先輩とソリの合はないことも多く、殊に堺、幸徳の兩先輩を困らせたことも多かつたと思ひます。
 平民新聞の讀者にはクリスチャンが多く、平和運動に共鳴して、非常に熱心に應援してくれました。平民社發行の繪ハガキが、マルクス、クロポトキン、ベーベル、エンゲルス、トルストイの肖像を一組にしたのでも、平民新聞の思想的態度が察せられます。
 或る時、わたしは、『平民』紙上に『自由戀愛私見』といふ一小論文を出しました。夫婦生活には戀愛が至上命令である、それが消えたら直ちに離別することこそ眞の貞操だといふのでありました。多くのクリスチャンを讀者に持つてゐたので、この文章に對する讀者の非難はものすごいものでした。社内でも幸徳、西川兩君は『こんな文章を出すと讀者の志氣を弱める』とて非難しました。捨て置きがたくなつて、堺君は全ページに亙る大論文を出して解説補充してくれました。
 これと時を同じうして、私は本郷教會の日曜日の夜の傳道説教に右の論文と同じやうな演説を試みました。その日の朝海老名彈正先生の説教が『貞操論』であつたのに對して、わたしの話は正反對のものでありました。若い時には前後も左右も顧みず、非禮の行動にも氣づかず、思はぬ失敗を招くものです。いつも私の説教の後には先生が立つて握手してくれるのに、その時には、それがありませんでした。はつと氣がついた時、先生は内ヶ崎君に耳うちし、直ちに内ヶ崎君が演壇に立つて私の自由戀愛論を反ぱくするのでした。なるほど私は海老名先生の朝の説教を反ぱくしたことになつたのだ、と氣がつきました。格別わる氣があつた譯ではなく、私の個人的な強烈な要求をおさへ得なかつたためでしたが、爾來わたしは同教會と縁が切れてしまひました。

     寄せくる浪の姿

「耶蘇教徒のあなたが自由戀愛を説くなんて、をかしな譯ですが、しかし、そのために教會から破門されたことは、まことに結構ではありませんか」
 マダムは大喜びである。それは私の精神的解放だといふ
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