たしは全我を傾けて海老名先生に沒頭しました。そして洗禮を受けました。それは東京法學院を卒業してから間もない時でした。
澄子さんとの間に愛の誓ひが交はされたのも、その當時でありました。同宿の友は暑中休暇で歸郷したので一人で二階にゐたわたしは、澄子さんと談らふ時間と自由とを心ゆくまで與へられました。しかし、過ちを再びしてはならない。敗殘の身、けがれた身ではあるが、心だけは淨らかにして、この戀は遂げなければならない。かう私は決心しました。わたしは天にも登るやうな嬉しさで眞に過去の惱みから救はれたことを感じました。
澄子さんは、或る時言ひました。高等官にでも辯護士にでもなられるやうに、試驗を受けて下さい。さうしないと親達にも話せないから。わたしは、そのことを快よく承諾しました。そして、大勇みで勉強にとりかかりました。學校になど稀にしか出たことのない私ではあるが、しかし自信だけは持つてゐたのです。法律なんていふものは人間の造つたもので、それに頭をつかふのは元來が低能者のすることと、きめてゐたのです。安心しきつて辯護士試驗を受けました。家に歸つて、問題とわたしの答案とを引き合はして見て、無論及第だらうと信じてゐました。ところが、何ぞ計らん、幾週間の後になつても何の通知も來ませんでした。それは何かの間違ひだらうと何時までも考へたのですが、遂にあきらめざるを得ませんでした。
次で司法官の試驗にも應ずる積りで願書を出したのですが、冷い牛乳にあてられて大腸カタルに罹り、幾日幾夜かを澄子さんの手厚い看護に浴した幸福には感謝したが、大切な試驗には行けませんでした。そして、かうして二つの試驗に失敗したことは、わたしにとつても、澄子さんにとつても、暗い不安の種になりました。澄子さんはやがて學校に歸り、わたしは獨立生活の道を樹てなくてはなりません。それは漸く惱み悶えの戀に變つて行くのでした。
しかし私は試驗についてはまだ失望しなかつたのです。試驗官の方で私の答案に落第したのだ、とかう考へてゐました。時のたつのは早いもので、間もなく翌年の試驗期になり、今度は高文の試驗に應じました。提出論文は及第の通知に接しましたが、次の筆記試驗はまた落第でした。この時わたしは既に[#「既に」は底本では「既は」]澄子さんの家から他に引越してゐました。澄子さんの姉さんにお婿さんができたので、室を明ける必要がで
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