屆くやうに發送しました。わたしの豫想は過たず、官僚が屠蘇の醉ひからさめると同時に發禁の命令が横濱警察に來ました。警視廳は西村氏の東雲堂に書籍差押に行つたが、そこには勿論五、六册しかありません。奴等はやつきになりました。わたしのところにも一册もありません。已を得ずわたしを警察署に引つぱりました。わたしは夜具の毛布を背負つて横濱警察に行きました。
「書籍をどこへかくしたか?」
 といふ、きつい訊問です。
「公然屈けいでた出版物です。何の必要があつてかくしませう」
「でもどこにも無いぢやないか?」
「もう出來てから一週間になります、大部分は支那の同志が支那に持つて行きました。今時分は船の中で黄海あたりを渡航中でせう。もう少し早くお知らせを下さればよかつたですが、外國船に積み込まれたのでどうすることも出來ません」
 署長さんも今更怒つてもしかたがないと思つたか、ことやはらかに
「それでは歸つてもよろしい」
 と來た。かうして、たわいなく事件は經過し去りました。この事件が因縁になつて、わたしの日本脱走が發起されるに至りました。
 明治四十五年の夏、福田氏一家は東京角筈の家にゐられなくなつて、一まづわたしのところに來ることになりました。それには渡邊政太郎君が容易ならぬ骨折りで悲劇喜劇を演じながら兎も角も無事に移轉ができたのです。貧乏の結果、借金取りの包圍に會つて家財の運搬など思ひもよらぬ有り樣であつたのを渡邊君が一切引きうけて始末をつけてくれたのです。
 四十五年は半ばで大正元年になりましたが、その年の大晦日に渡邊とともに出版書の始末を終つたところに、裏口の方から『石川さんこちらですか』といふ聲がかかりました。田中正造翁の聲です。飛びだして見ると翁は人力車から降りるところです。
「やれやれ見つかつてよかつた。あちこちと一時間あまりも探しましたぜ!」
 二週間ほど前に海岸通りから少し高臺に移轉したために翁をまごつかせた譯です。しかし一家一族が大喜びで翁を迎へたので、翁はとても嬉しさうに、懷から十圓札を一枚だして
「これで皆さんと一しよにお正月をさせておくんなんしよ」
 といふのです。われわれに對する翁の愛情の深いのには、いつも感激させられます。横濱まで來てお正月をしようといふ翁の心の中には、貧困の極にあるわれわれがこの年の瀬を如何にして越しうるか、といふ心やりもあつたのでせう。無
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