社会になりはしないかと心配する人があるかもしれませんが、この郷土的な全体を綜合することによつて初めてよい社会が出来るのであります。総ての人、総ての地方が器械的に同様であつたならば、日本も実につまらぬ国であります。各地方の個性を認めて、その綜合をはかるところに国家としても真の意義を発揮することが出来るのであります。真の国粋主義は真の地方自治主義に基づかなくては成り立たないのであります。同時に真の国家主義は真の世界主義であります。真に豊な人間生活場としての世界をつくることこそ、真の国家主義であります。
 甲の国の文化と乙の国の文化とは違つてをります。その相互の対象によつて初めて相互の価値が生ずるのであります。私も欧洲諸国を旅行して来て初めて日本といふ国がわかりました。孤立してゐては何も分らないし、真の文化を作ることも出来ません。これは個人についても、一村一家についてもみな同じことであります。自分の村から出てみて初めて身分の村の地位、文化等がよく分るのであります。これは自分の姿が鏡をみることによつて初めて明かにわかるのと同じことであります。
 真の郷土精神の発展は真の国粋主義であり、真の国粋主義は真の世界主義と一致することになります。今日言はれてゐる様な国粋ではなくして郷土精神に基づく国粋であつたならば、其郷土がどんなに住み心地よくなるか分らないのであります。
 以上は人間が地理的事情に支配されるといふことを説いたのでありますが、次には歴史的事情の方から考へてみたいと思ひます。
 我々は日本といふ地理的の土地に支配されてゐると共に、歴史的の諸事情にも支配されてゐます。
〔以下六十字分原稿空白〕
 歴史的にみるに土着精神が強烈であつた国家社会ほど健全でありました。すると土着精神の高揚を説く農民自治会が盛んになることは、とりも直さず日本の社会の健全な発達を促すわけになります。
 例へばギリシヤであります。高原から下りて来てスパルタやアデン[#「デン」に「(ママ)」の注記]に移住して来た殖民の始めた文化が、ギリシヤ文明として華を開いたのであります。彼等は土地平分を行ひましたが、それが各人の所有となつて土地を愛する心が生じ、こゝに土着心が盛んになつたのであります。この土着心があつて初めてギリシヤ文化の華が開いたのであります。然るに後に到りギリシヤ人が土着を嫌ふやうになつて遂にローマに亡ぼされてしまひました。
 ギリシヤには貴族等の唱へた共産主義の思想もあつたが、あのさん[#「さん」に傍点]然たる文化の華を開いたのはそれよりも土地平分が基礎となつてをります。
 モンテスキユといふフランスの学者は、三権分立を唱へた人で、其思想は日本の明治改革にも多大の影響を与へてゐます。そしてその著書に『ローマ盛衰記』といふのがあります。その中に「ローマ人は少数の人種であつた。それが広大な領土を支配したのは、その土着精神の旺盛によるものである」といつてをります。今日の学者の意見では、どんな国でもその人口の百分の一以上の軍隊を備へつけては国が立ちゆかないといふことを言つてをります。然るにローマでは人口の八分の一以上の軍隊を維持してをりました。それが出来たのはローマでは兵士に土地を平等に配分したからであります。所謂土着兵であるから、自分の土地を守るのに命がけで戦ふから強いのであります。然るにローマ文明の旺盛になるに従つて、土着精神が商工者に卑しめられ、貴族は都会に集つてデカダンの生活に陥入いる[#「陥入いる」はママ]様になつて来ました。この時、蛮人に攻められて遂に滅亡したのであるが、よく考へてみるとローマを滅ぼしたものは蛮人ではなくて、ローマ人自身であります。都会主義に陥入つた羅馬人自身であります。日本も今のまゝでいけば滅亡してしまひます。
〔以下原稿なし〕



底本:「石川三四郎著作集第二巻」青土社
   1977(昭和52)年11月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:田中敬三
校正:松永正敏
2006年11月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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