はなく、後方の電信隊、運搬者、農夫等も必要な任務をつくしてゐると同様に、実つたもののみが使命をつくしてゐるのではなく、落ちた花にも使命があると考へたいのであります。戦争の時に第一線の者だけが勇者で、人知れぬ所で弾丸に当つて斃れた者が勇者でないとするやうな考へ方には共鳴出来ません。しかるに今の社会組織が生存競争主義になつてゐるから、殊に其様に間違つた考へ方、間違つた事実が生ずるのであります。
日露戦争当時、私はある事件で入獄してをりましたが、その時にある看守はこんな事をいひました。「お前たちは幸福なものである。我々は毎日十六時間づゝ働いてゐる。而も二時間毎に二十分づゝ腰掛けることが出来るだけで、一寸でも居眠でもすると三日分の俸給を引かれる。然るにお前たちは毎日さうして読書してゐることが出来る。実に幸福なものである」といつて我々を羨むのでありました。そういひ乍ら我々を大切に世話してくれます。彼等からいふと我々は商品の様なものであります。司法大臣でも廻つてくる時に少しでも取扱方に落度があればすぐに罰俸を喰ふのであります。
さて或る時お上からお達しが監獄へ来て、「戦争の折であるから倹約をせよ」といつて来ました。そこで監獄の役人たちはいろ/\と相談を致しましたが、囚人の食物を減ずることも出来ないので、看守の人員を減ずるより仕方ないといふことになり、百五十人を百人に減じました。看守さんたちは眠いのを辛抱して以前にも増して働きましたが、その結果として典獄さん一人が表彰されたのみで他の看守さんたちは何一つも賞められなかつたのであります。その典獄さんは実際よい人でありました。私やその当時隣の室にゐた大杉などを側へ呼びよせて「お前たちは立派な者だ、社会のために先覚者として働いて貴い犠牲となつたのだ」とて、大そう親切にしてくれました。この典獄さんが表彰されたことはお目出たいことでしたが、「俺たちは太陽の光で新聞を読んだことがない」といつてゐる看守たちが少しの恩典にも浴することが出来なかつたのは何としたことでせうか。賞与をもらはなかつた看守も国家のためになつてゐることは明かですが、生存競争主義で組織された世の中であるから上の者だけが賞与にあづかるのも己むをえないのであります。こゝに来てゐらつしやる巡査さんもこのことはよく御承知の筈だと思ひます。
このごろ東京では泥棒がつかまらないので
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