マに亡ぼされてしまひました。
ギリシヤには貴族等の唱へた共産主義の思想もあつたが、あのさん[#「さん」に傍点]然たる文化の華を開いたのはそれよりも土地平分が基礎となつてをります。
モンテスキユといふフランスの学者は、三権分立を唱へた人で、其思想は日本の明治改革にも多大の影響を与へてゐます。そしてその著書に『ローマ盛衰記』といふのがあります。その中に「ローマ人は少数の人種であつた。それが広大な領土を支配したのは、その土着精神の旺盛によるものである」といつてをります。今日の学者の意見では、どんな国でもその人口の百分の一以上の軍隊を備へつけては国が立ちゆかないといふことを言つてをります。然るにローマでは人口の八分の一以上の軍隊を維持してをりました。それが出来たのはローマでは兵士に土地を平等に配分したからであります。所謂土着兵であるから、自分の土地を守るのに命がけで戦ふから強いのであります。然るにローマ文明の旺盛になるに従つて、土着精神が商工者に卑しめられ、貴族は都会に集つてデカダンの生活に陥入いる[#「陥入いる」はママ]様になつて来ました。この時、蛮人に攻められて遂に滅亡したのであるが、よく考へてみるとローマを滅ぼしたものは蛮人ではなくて、ローマ人自身であります。都会主義に陥入つた羅馬人自身であります。日本も今のまゝでいけば滅亡してしまひます。
〔以下原稿なし〕
底本:「石川三四郎著作集第二巻」青土社
1977(昭和52)年11月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:田中敬三
校正:松永正敏
2006年11月17日作成
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