の事務の大部分に就て無知になり、才能も亦萎縮して了ふのである。……ただ此理由によりて、小農は大いに奨励すべきである。」(同前書)
 クロポトキンの『田園、工場、仕事場』に説くところも矢張り同様である。

     ○ 吾等のコムミユン

 併し、クロポトキンでもカアペンタアでも総《すべ》て一律に自給自足せよといふのではない。都市の理想的組織でも、農村のそれでも、個人でも、集団でも、画一的に生活し得るべきものでなく、環境と利害とに従て千差万別の形体を持つべきである。そして、それ/″\の分業的差異が実現さるべきである。
 クロは言つてゐる。「吾々の需要は非常に多様であり、非常な速力を以て発生し、それはやがて、只一つの聯合では万人を満足させることが出来なくなるであらう、そのとき、コムミユンは他の同盟を結び、他の聯合に加入する必要を感ずるであらう。たとへば食糧品の買入れには、一の団体に加入し、その他の必要品を得るためには第二の団体員とならねばならないであらう。次で金属品のためには第三の団体、布や芸術品のためには第四の団体の必要があるであらう。……生産業と種々の物産の交換地帯は相互に入り込み、互に縺れ合ひ、互に重なり合つてゐる。同様にコムミユンの聯盟も、若しその自由な発達に従つたならば、やがて互に縺れ合ひ、互に入り乱れ、互に重なり合つて、『一にして不可分な』網を成すであらう。」
「吾々に於ては、『コムミユン』は決して地域的集団ではない。寧ろ境界も、防壁も知らない、通有的名詞である、『平等者の集団』と同意語である。この社会的コムミユンはやがて画然と限定されたものでなくなるであらう。コムミユンの各集団は他のコムミユンの同種の諸集団の方に必然的に引寄せられるであらう。そしてそれ等の集団と、少くとも同市民に対すると同程度の強い関係で結合し、一つの利益を目的とするコムミユンを構成するであらう。そして、その加入者は多くの都市や村々に分散してゐるであらう。」(以上、拙訳『反逆者の言葉』七四―七六頁)
 以上によつて、クロポトキンの理想するコムミユンが、消費組合としても労働(生産)組合としても、決して単一に地域的にのみ形成されるものでなくて、同時に分業的又は種別的に構成されるものであることが分るであらう。かくすれば、前段に紹介したジイドとデユルケムとの意見の相違点はここに自ら融合せられるであらう。蓋し、諸々の生産労働組合は各々地位を異にし利害を異にするが、消費組合は一般的に同類であつて、全社会を包容する資格があるといふジイドの説にも不都合は生ずるであらう。そして自然発生的に成立する自由の消費組合にはまた色々な種類が現はれるであらう。されば吾々は言ふことが出来る。以上の如くしてこそ、生産団体と消費団体は互に縺れ合つた連帯網を構成して、そこに有機的無強権的自治的にして而も極めて鞏固な社会生活が成立するのであると。



底本:「石川三四郎著作集第三巻」青土社
   1978(昭和53)年8月10日発行
初出:「ディナミック」
   1931(昭和6)年3月1日
※「(註)」は底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:田中敬三
校正:松永正敏
2006年11月17日作成
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