自然の為に、又資産家、地主の為に、徒らに労働の切売をして居る。之に於て、農夫も一箇の商人となつた。右手に鍬を持ち左手に算盤を弾く商人となつた。殊に其精神に於て全然商人と化して了つた。如何に能く地を耕やし、如何に善き収穫を得んか、といふことが問題ではなくて、唯だ如何に多くの利益(金銭)を得やうか、といふことのみが重大なのである。農夫の心は既に土地其ものから離れたのである。土地への愛着を喪つて、只管《ひたすら》金儲を夢見る農民が、夏虫の火中に飛び込む如く、黄金火の漲る都会を眼がけて走り寄るのは当然である。

         三

 素町人の商人と区別せられた昔の農民は、今日は既に存在の跡を絶つて了つた。「機梭《きひ》の声|札々《さつ/\》たり。牛驢走りて紛々たり。女は澗中の水を汲み、男は山上の薪を採る。県遠くして官事少く、山深くして人俗淳し、財あれども商を行はず[#「財あれども商を行はず」に傍点]、丁あれども軍に入らず、家々村業を守つて、頭白きまで門を出でず」(白楽天の「朱陳村」)といふ様な美しい生活は地を払つて無くなつた。こう考へて見ると、今日は最早や、農民問題も、農村問題も無いのである。天下悉く商民商村と化した今日、特に農民自治などを叫ぶのは宛も時代錯誤ではないか。
 それは、その通り、時代錯誤に相違ない。今日の問題は、農民の自治といふことでは無くて、商を転じて真農と化するにある。然るに、同じく商と称するも、鍬鋤を顧みない純商人と、未だ鍬鋤を棄て得ない商人、即ち現在の農夫とは些か其境遇に差異がある。其心は兎に角として、其境遇が土着して居る吾等農夫は、尚ほ祖先の地を去り難く、一種の覊絆に繋がれて居る。吾等は生存競争、金力万能の風潮に溺るゝことを怖れつゝ、尚ほ吾等を生んだ土地を耕やして、美しい墳墓までも用意しやうと執着して居る。此執着心深き吾等をして、吾等の父母たる天地の恵みを充分に享楽せしめよ。他人の懐と他人の生産との間に介在して自己の利益をのみ貪る我利商人たることを避けて、吾等をして直ちに天地の創造に参与する農産業に没頭せしめよ。是が吾等農民の真の希願である。

         四

 然らば此希願は如何にして成就し得るか。其第一要件は即ち自治である。自治は万物自然の生活法則で、此法則は人間にも実現されねばならぬ筈である。鳥は飛び、魚は泳ぎ、地球は自転して昼夜を
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