の ALLGEMEINE UEBEREINSTIMMUNG(普遍的調和)である。鑑賞家の勝手に味わうべき事で、作家の頭を労すべきものではない。出来た後で評定する事で、出来《でか》すのに考える筈のものではない。作家をして、日本人たる事を忘れさせたい。日本の自然を写しているという観念を全く取らせてしまいたい。そして、自由に、放埒に、我儘に、その見た自然の情調をそのまま画布に表わせさせたい。出来たものが、僕等の眼にあると考える日本のいわゆる地方色と反対のものであっても、僕はその故をもってこれを斥けたくない。支那情調のある人の眼には日本の自然も支那式に見える事があろう。EXOTISCH(エキゾチズム)の人の眼には稲荷神社の鳥居まで異国の色を帯びて見えよう。すべて、傍観者の与り知らぬ所、また苦情を申込む権利の無い事である。鑑賞家が作品に臨んでその作品の異風を擬議する事は不必要である。唯、その異風を認めた上で、作家の情調が虚偽の基礎の上に立っているか、作家生来の真面目であるかを作品によって見ればよいのである。作品の優劣はその上、別箇の問題として心に映じて来なければならない。
 この点から、僕は日本の作家があらゆる MOEGLICH(可能)な技巧を遠慮会釈なく用いん事を希望している。その時の内面の要求に従って必ずしも非日本的を恐れない事を祈るのである。いくら非日本的でも、日本人が作れば日本的でないわけには行かないのである。GAUGUIN(ゴーガン)は TAHITI(タヒチ)へまで行って非フランス的な色彩を残したが、彼の作は考えて見ると、TAHITI 式ではなくして矢張りパリっ子式である。WHISTLER(ホイスラー)はフランスに暮してある時はまた日本に対する NOSTALGIE(ノスタルジー)を恣にしたが、これも争われない ANGEL−SAECHSISCH(アングロサクソン風)である。あの TURNER(ターナー)はロンドンの市街をイタリヤの色彩で画いていたが、今思えば彼のイタリヤの自然を写した色彩はやはり英国式であった。MONET(モネ)はフランスの地方色を出そうと力めたのではない。自然を写そうとしたのである。勿論、世間からフランスの色彩とは認められなかったのである。フランスの色彩と認められないどころか、自然の色彩とも認められなかったのである。空色の樹の葉を画いたといっては罵られていたのである。しかるに、今日見れば矢張り外の国の人には画けないフランスの香いがする。これ等はすべて、魚に水の香のするようなものである。力めて得たのでなくして、おのずから附帯して来たのである。これを力めて得ようとすると芸術の堕落が芽をふいて来る。
 僕は朱塗の玉垣を美しむと共に、仁丹の広告電燈にも恍惚とする事がある。これは僕の頭の中に製作熱の沸いている時の事である。製作熱の無い時には今の都会の乱雑さが癇に触ってならないのである。僕の心の中には常にこの両様の虫が喰い込んでいる。これと同じように、僕はいわゆる日本趣味を尊ぶと同時に、非日本趣味にも心を奪われること甚だしい。またこれと同じように、日本の地方色というものをやや世間の人と人並に見てはいながら、心の叫びはその地方色の価値を零にしてしまうのである。従って西洋じみたものを見ても、西洋じみたという事については些少も反感を持たないのである。「緑色の太陽」を見ても気を悪くしないのである。
 僕は混雑した感想を混雑したままに書いてしまった。僕が見ては下らぬ事に考えられて、世間ではかなりに重大視されているいわゆる地方色の事を一言したかったのに過ぎない。僕は日本の芸術家が、日本を見ずして自然を見、定理にされた地方色を顧ずして更に計算し直した色調を勝手次第に表現せん事を熱望している。
 どんな気儘をしても、僕等が死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。



底本:「日本の名随筆7 色」作品社
   1983(昭和58)年5月25日第1刷発行
   1999(平成11)年2月25日第20刷発行
底本の親本:「美について」筑摩書房
   1967(昭和42)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
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