であった。
 岡倉先生がいなくなってから二三の校長を経て正木直彦先生が文部省から乗込んで来た。正木先生は理性の勝った人で寧《むし》ろ冷たい感じのする人であった。そして学校の内部組織も次第に改革されていった。先生のなかで美術学校の先生くらい扱いにくいものはなかったそうだが、それを正木先生は非常に合理的に一歩一歩黙って変えていったのである。生徒の服装を変えたのも先生だったと記憶する。それまでの闕腋《けってき》と折烏帽子《おりえぼし》を止めにして普通の金釦《きんボタン》にしてしまった。初めに闕腋を恥かしがったのが、今度はこんな金釦になってつまらないという気がしてならなかった。やがて学科目も変り時間なども変えられていった。それまでは学校の先生はお昼頃出てきて一時間もいるとさっさと帰宅したものであったが、それが一週間に二三度くらい出てきた先生も毎日来なければならぬように喧《やか》ましくなり、総て官吏服務規則に拠《よ》って勤めることになった。
 親父がその話を聴いて帰り、何んでも官吏というものは大へん難しい規則があって、学校は朝も帰りも時間があってベルが鳴らないと帰れない。また官吏というのは自分の仕事というものをやってはいけないらしい、と言って僕に話したことがある。それを又親父はとても律儀に考えて、何もかも自宅でやる仕事は一切止めにしてしまった。
 自分の仕事をすると何んでも規則違反だと考えて、一時親父は学校以外の個人的な制作はみんな断って終った。ところが規則はそれほどまでに厳重なものではないということが後で判り、また今迄のを取消して仕事を始めたりなど、実に滑稽《こっけい》であった。
 その頃黒田さんなどが新しい西洋画を描く機運をつくり、白馬会が名乗りをあげたり、一方では太平洋画会などが人気があった。白馬会は当時既に相当の会員を擁しており久米桂一郎先生、黒田清輝先生、藤島武二先生、長原孝太郎先生などと、これらの会の出来たことは急速に洋画壇の進歩をもたらせた。彫刻の方はちょうど其頃泥、粘土を使ってやる塑造科が出来た。木彫の生徒もそれを研究しなければならない。塑造科の先生は長沼守敬先生で、伊太利《イタリー》からかえって日本でさかんに銅像の研究を進めておられた。長沼先生の教室には武石弘三郎さん一人で、先生一人生徒一人のその教室を覗きながら羨《うらやま》しく思ったりした。長沼先生はどういうものか間もなく喧嘩《けんか》をして学校を辞めて仕舞った。その後に藤田文蔵先生が来て、僕らの木彫の方でもモデルを使って塑造をやることになり、初めてモデルを使うという期待は大へんなものであった。
 例の宮崎幾太郎の阿母さんのモデル婆さん、あれは一番初めに自分でモデルになったので、自分がモデルの株を持っていたわけだが、婆さんも次第に忙しくなり、自分の仲間の娘やお上さん、そのうちには男のモデルまで連れてくるようになった。木彫科の使った男の最初のモデルというのは俥屋で随分と滑稽なこともあった。よく覚えているが、山田鬼斎先生の教室にそのモデルの俥屋が婆さんに連れられてやってきた。此時は塑造台を新調してその俥屋のモデルを迎えたのであるが、彼は裸体になっても下帯を取らないでがん張っている。鬼斎先生がみんな取ってしまえと談判を始めた。学生はじっとその様子を眺めている。俥屋は初めそんな約束ではなかったと言い、何んでもよいから裸体になってしまえ、それでは御開帳をするのですか、そうだ、と押問答の末とうとう裸にさせてしまった。こんなわけだからモデルになった者は優遇して逃がさぬようにしたのである。ところがその俥屋の体格は実に悪い。お尻が出っ張って、脚が曲って全く俥屋らしいおかしい恰好《かっこう》であったがそれでもその一人のモデルをいつまでも使っていた。これが男のモデルの一等最初の人である。やがて女のモデルもやってくるようになったが、大へんな騒ぎで初め頃は僕らもまともにモデルが見られなかった。片手で前をかくしているモデルが多かった。
 木彫の方は小使が皆|石膏《せっこう》を扱うので、石膏屋さんとしては小沢という人がいたのを記憶する。石膏も初めは使用法を知らぬので沢山の無駄を出していた。そのうち宮島さんという人がいろいろと自分で工夫し、上手《うま》くなって専門の石膏屋になったが、僕らも段々少い石膏で上手く出来るようになった。流した石膏に青や赤の色を着けておいて、外型を毀《こわ》してゆく時に赤が出て来たからもう直ぐ肌だとか、青が出たから肌であるなどと、そんなことをやったりしたこともあった。
 その頃である。岩村透先生がフランスから帰ってきて何もかも新式だというので旋風を巻き起し、その上頭も良かったのでまるで学校中を掻き廻すような有様であった。いろんなことをやり出した。美術学校を専門学校にするには
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