美の日本的源泉
高村光太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)涌《わ》き

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)黒|花崗岩《かこうがん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)清らか[#「清らか」に傍点]
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 民族の持つ美の源泉は実に深く、遠い。その涌《わ》き出ずる水源は踏破しがたく、その地中の噴き出口は人の測定をゆるさない。厳として存在し、こんこんとして溢《あふ》れて止まぬ其の民族を貫く民族特有の美の源泉は、如何なる外的条件のかずかずを並べ立ててみても説明しがたく、殆ど解析の手がかり無き神秘さを感じさせる。近寄ってこれを観れば、或は紛々として他と分ちがたい程の交流に接する時さえありながら、一歩退いてこれを眺めるとまがう方もない其の民族特有の美の地下泉は、あらゆる形態で到るところにあらわれる。如何なる他からの影響があっても一つの民族は一つの根源的な美の性質を失わない。これの失われる時はその民族が解消する時である。
 世界美術史は斯《か》かる民族の美の源泉間に行われる勢力交流の消長に外ならない。或る民族の美的源泉が強力な時、その美は世界に溢流《いつりゅう》する。或る民族の美の源泉が弱い時、それは多く一地方的存在としてのみ生存する。最も強大な美の源泉は、民族そのものが亡びても其の美の勢力を失わない。一民族を超えて世界の美の源泉となる。
 斯くて現在の世界に美の大源泉を成すものが幾つか残った。エジプト―アッシリヤ系の美の大源泉は、考古学的時代からの数万年に亘るエジプト文化が生んだ所謂《いわゆる》「死の書」の宗教に伴って、王と奴隷とを表現する雄渾《ゆうこん》単一な厖大《ぼうだい》な美の形式であり、今日でもその王は傲然《ごうぜん》として美の世界に君臨し、その鷹や猫は黒|花崗岩《かこうがん》の中に生きている。そして絶え間なく諸民族の新らしい美に多くの示唆と激励とを与えている。西暦三世紀に及んでエジプトの伝統芸術は既に終を告げたが、その美の大源泉はまだ世界に生きている。アッシリヤ亦然り。アッシリヤに聯関《れんかん》してアラビヤ、イラン系の美は中位の存在として長く今日につづいている。世界の美の源泉として最も猛威をふるっているのはギリシャ―ロオマ系と、ビザンチン―ゴチック系との二つであろう。共にアリヤン民族の美
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