愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかといふ予感をふと感じた。彼女は実によく均整がとれてゐた。
 やがて彼女から熱烈な手紙が来るやうになり、私も此の人の外に心を託すべき女性は無いと思ふやうになつた。それでも幾度か此の心が一時的のものではないかと自ら疑つた。又彼女にも警告した。それは私の今後の生活の苦闘を思ふと彼女をその中に巻きこむに忍びない気がしたからである。其の頃せまい美術家仲間や女人達の間で二人に関する悪質のゴシツプが飛ばされ、二人とも家族などに対して随分困らせられた。然し彼女は私を信じ切り、私は彼女をむしろ崇拝した。悪声が四辺に満ちるほど、私達はますます強く結ばれた。私は自分の中にある不純の分子や溷濁《こんだく》の残留物を知つてゐるので時々自信を失ひかけると、彼女はいつでも私の中にあるものを清らかな光に照らして見せてくれた。

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汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見出でつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官《さばきのつかさ》とすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠《こも》れるを信ずるなり
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と私も歌つたのである。私を破れかぶれの廃頽《はいたい》気分から遂に引上げ救ひ出してくれたのは彼女の純一な愛であつた。
 大正二年八月九月の二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴヰナス倶楽部《クラブ》で岸田|劉生《りゆうせい》君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人は皆島々から岩魚止《いはなどめ》を経て徳本《とくごう》峠を越えたもので、かなりの道のりであつた。その夏同宿には窪田空穂《くぼたうつほ》氏や、茨木猪之吉氏も居られ、又丁度穂高登山に来られたウエストン夫妻も居られた。九月に入つてから彼女が画の道具を持つて私を訪ねて来た。その知らせをうけた日、私は徳本峠を越えて岩魚止まで彼女を迎へに行つた。彼女は案内者に荷物を任せて身軽に登つて来た。山の人もその健脚に驚いてゐた。私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。上
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