かそういう種類の若さがあって、死ぬ頃になっても五十歳を超えた女性とは一見して思えなかった。結婚当時も私は彼女の老年というものを想像する事が出来ず、「あなたでもお婆さんになるかしら」と戯れに言った事があるが、彼女はその時、「私年とらないうちに死ぬわ」と不用意に答えたことのあるのを覚えている。そうしてまったくその通りになった。
精神病学者の意見では、普通の健康人の脳は随分ひどい苦悩にも堪えられるものであり、精神病に陥る者は、大部分何等かの意味でその素質を先天的に持っているか、又は怪我とか悪疾とかによって後天的に持たせられた者であるという事である。彼女の家系には精神病の人は居なかったようであるが、ただ彼女の弟である実家の長男はかなり常規を逸した素行があり、そのため遂に実家は破産し、彼自身は悪疾をも病んで陋巷《ろうこう》に窮死した。しかし遺伝的といい得る程強い素質がそこに流れていると信じられない。又彼女は幼児の時切石で頭蓋《ずがい》にひどい怪我をした事があるという事であるがこれも其の後何の故障もなく平癒してしまって後年の病気に関係があるとも思えない。又彼女が脳に変調を起した時、医者は私に外国で或る病気の感染を受けた事はないかと質問した。私にはまったく其の記憶がなかったし、又私の血液と彼女の血液とを再三検査してもらったが、いつも結果は陰性であった。そうすると彼女の精神分裂症という病気の起る素質が彼女に肉体的に存在したとは確定し難いのである。だが又あとから考えると、私が知って以来の彼女の一切の傾向は此の病気の方へじりじりと一歩ずつ進んでいたのだとも取れる。その純真さえも唯ならぬものがあったのである。思いつめれば他の一切を放棄して悔まず、所謂《いわゆる》矢も楯《たて》もたまらぬ気性を持っていたし、私への愛と信頼の強さ深さは殆ど嬰児《えいじ》のそれのようであったといっていい。私が彼女に初めて打たれたのも此の異常な性格の美しさであった。言うことが出来れば彼女はすべて異常なのであった。私が「樹下の二人」という詩の中で、
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ここがあなたの生れたふるさと
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
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と歌ったのも此の実感から来ているのであった。彼女が一歩ずつ最後の破綻《はたん》に近づいて行ったのか、病気が螺旋《らせん》のようにぎりぎりと間違なく
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