事は出来ない。名香のかおりに何処か麝香《じゃこう》をほのかにまじえた様な睫毛であった。あんな少女が生きているとは不思議な位だ。
 人間の首には先天の美と、後天の美とがある。此の二つが分ち難くまじり合って大きな調和を成している。先天の美は言う迄もないが後天の美に私は強い牽引《けんいん》を感ずる。閲歴が造る人間の美である。私が老人を特別に好むのは此の故もある。写真は人間の先天の美のみを写して後天の美を能《よ》く捉えない。だから写真では赤坊だけがよく写る。後天の美を本当に認め得るのは活きた眼だけである。機械では不可能である。写真に写ると実際よりも美しくなる人は此の先天の美に恵まれている人であり、写真では悪いが本人に会うと美しいという人は此の後天の美、閲歴、生活、性格|陶冶《とうや》等から来る美を多分に持っている人の事である。
 概して文芸家の首には深みがある。ドストイエフスキイ、ストリンドベリイ、ロマン ロラン、皆そうらしい。ポオ、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌ等は何という不思議な首だろう。彼等の詩そのものと思う。政治家では、リンカンの首がすばらしい。生きている当人に会ってみたかったといつも思う。近くではレエニンの首が無比である。レエニンの性格に関する悪口を沢山きくけれども、私は其を信じない。彼の首が彼の決して不徳な人でなかった事を証拠立てている。野心ばかりの人に無い深さと美とがある。ナポレオンよりも好い。ナポレオンにはもっと野卑な処がある。近世の支那にはまだ人物が出ないようだ。
 日本の文芸家の首にも興味がある。私は交友が少ないので多く知らないが、詩人では千家元麿氏の首に無類な先天の美がある。室生犀星氏の首には汲めども尽きない味がある。彼の顎と眼とは珍宝である。ヨネ ノグチ氏の首も十目の視る所で、氏の顱頂は殊に美しい。概して詩人の首は好ましく、どこかに本気なものがある。若い詩人にも好い首があるが今は書くまい。文学家の方には益《ますます》知人が無い。佐藤春夫氏は彼の無名時代に肖像を画いたのがあるので知っている。彼の首には秀抜な組立がある。彼を彫刻で作らなかったのが心残だ。武者小路氏の前額と後頭と眼とはすばらしい。凡人崇拝の戸川秋骨氏の顎と口とは凡人どころではない。俳優では団十郎が頭に残っている。今の政治家は誰も知らないが、写真で見ると、高橋是清氏と、浜口雄幸氏とが面白い。浜口氏の首はいつか作ってみたいと思って覗《うかが》っている。此人は彫刻に殊に好い。
 電車の中であまり好い首の人に偶然逢うと別れるのに心が残る。思い切って話しかけようかと思う事が度々ある。女の人などは一生に二十日間位しかあるまいと思うような特に美しい期間がある。それをむざむざと過させてしまうのが惜しい。



底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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