るよりも玩具に近い、又は文人的骨董に類するものとなる。其点でセミは大に違う。彼はその形態の中にひどく彫刻的なものを具《そな》えている。しかも私が彼を好むのはむろん彫刻以前からの事である。
 子供は皆この生きた風琴を好む。私も子供の頃夏になると谷中天王寺の森の中を夢中に馳けまわって彼をつかまえた。モチの木の皮をはいで石でたたいて強いモチを作り、竹竿《たけざお》のさきに指をなめては其をまきつける楽しさを今でも稍《やや》感傷的に思出す。私はなぜかクモの巣の糸を集めて捉えるという方法を当時知らなかった。これは最近になって聞いた方法である。これで採れるなら此の方がよい。翅《はね》を傷めないに違いない。セミが思いがけなく低い木の幹などに止まって鳴いているのを発見すると、まったく動悸《どうき》のするほど昂奮《こうふん》する。今でもする。

 私は夏の夕方など時々モデル漁《あさ》りに出かける事があるが多くは自分では獲《と》れず、顔なじみの子供等にもらって来る。セミがあの有りったけの声をふりしぼるように鳴きさかっているのを見ると、獲るのも躊躇《ちゅうちょ》させられるほど大まじめで、鳴き終ると忽《たちま》
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