。この場合、彫刻家はセミのようなもの[#「セミのようなもの」に傍点]を作っているのでなくて、セミに因る造型美を彫刻しているのだからである。それ故にこそ彫刻家はセミの形態について厳格な科学的研究を遂げ、その形成の原理を十分にのみこんでいなければならないのである。微細に亘った知識を持たなければ安心してその造型性を探求する事が出来ない。いい加減な感じや、あてずっぽうでは却て構成上の自由が得られないのである。自由であって、しかも根蔕《こんたい》のあるものでなければ真の美は生じない。

 埃及《エジプト》人が永生の象徴として好んで甲虫《スカラベイ》のお守を彫ったように、古代ギリシャ人は美と幸福と平和の象徴として好んでセミの小彫刻を作って装身具などの装飾にした。声とその諧調《かいちょう》の美とを賞したのだという。日本のセミは一般に喧《やかま》しいもののように取られ、アブラなどは殊に暑くるしいものの代表とされているが、あまり樹木の無いギリシャのセミはもっと静かな声なのかも知れない。或はカナカナのような種類なのかも知れない。しかし私は日本のセミの無邪気な力一ぱいの声が頭のしんまで貫くように響いてくるのを大変快く聞く。まして蝉時雨《せみしぐれ》というような言葉で表現されている林間のセミの競演の如きは夢のように美しい夏の贈物だと思う。セミを彫っているとそういう林間の緑したたる涼風が部屋に満ちて来るような気がする。



底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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