ちぱっと飛び立って、慌ててそこらの物にぶつかりながら場所をかえるや否や、寸暇も無いというように直ぐ又鳴きはじめる、あの一心不乱な恋のよびかけには同情せずにいられない。よびかける事に夢中になっていて呼びかける目的を忘れてしまったのではないかと思うほど鳴く事に憑《つ》かれている。実際私はセミが配偶者を得たところを見た事が無い。
東京にはジイジイ、アブラ、ミンミン、ツクヅクボウシ、カナカナ位しか居らず、ハルゼミ、チッチゼミ、クマゼミ、エゾゼミなどは居ないようである。私が実際手にして見たのはそれ故甚だ種類少く、この中でもハルゼミ、エゾゼミはまだ見ない。クマゼミは先年熱海で松の木のてっぺんに鳴いているのを見たが竿が届かず、手にはとれなかった。ジイジイが一番質朴で顔も眼が離れていてとぼけている。アブラは大きくて、精悍《せいかん》で、野蛮で、がんばり強く、その声の止め度もなく連続するフォルチシモの物凄い通りに、姿も剛健一点張である。私は好んでこのセミを作る。翅《はね》まで厚くて不透明で茶褐色である事、胴体が割に長くて頭の小さい事などが彫刻にいい。ミンミンは此に比べると豪華で、美麗で、技巧的で、上等に見える。翅の透明な、胸や腹の緑と黒の模様のおもしろい、彫刻に作っては派手なセミである。胴体は短く、腹部の末端の急すぼまりのところが可笑《おか》しい。彫刻では翅は雲母を蒔《ま》いたり、銀粉を掃いたりする。ツクヅクボウシとカナカナとは女性的で、獲《と》るとすぐ死ぬ。姿も華奢《きゃしゃ》で、優美で、青々とした精霊の感じがある。クマゼミ又の名シャンシャンゼミはセミの中で一番巨大で色も黒、緑の外に橙色《だいだいいろ》が交り、翅も透明でしかも強く、形もよいようであるが、此は手にとって見たのでないから詳細は知らない。ハルゼミは先年五月末越後長岡の悠久山の松林の中でその幽遠な声を聞いたが、姿は見なかった。
セミの彫刻的契機はその全体のまとまり[#「まとまり」に傍点]のいい事にある。部分は複雑であるが、それが二枚の大きな翅によって統一され、しかも頭の両端の複眼の突出と胸部との関係が脆弱《ぜいじゃく》でなく、胸部が甲冑《かっちゅう》のように堅固で、殊に中胸背部の末端にある皺襞《しわひだ》の意匠が面白い彫刻的の形態と肉合いとを持ち、裏の腹部がうまく翅の中に納まり、六本の肢もあまり長くはなく、前肢には
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