錆《さび》どめの沈丁油の匂をかぐ時は甚だ快い。
 わたくしの子供の頃には小刀打の名工が二人ばかり居て彫刻家仲間に珍重されていた。切出《きりだし》の信親《のぶちか》。丸刀《がんとう》の丸山《まるやま》。切出というのは鉛筆削りなどに使う、斜に刃のついている形の小刀であり、丸刀というのは円い溝の形をした突いて彫る小刀である。当時普通に用いられていた小刀は大抵|宗重《むねしげ》という銘がうってあって、此は大量生産されたものであるが、信親、丸山などになると数が少いので高い価を払って争ってやっと買い求めたものである。此は例えば東郷ハガネのような既成の鋼鉄を用いず、極めて原始的な玉鋼《たまはがね》と称する荒がねを小さな鞴《ふいご》で焼いては鍛え、焼いては鍛え、幾十遍も折り重ねて鍛え上げた鋼を刃に用いたもので、研ぎ上げて見ると、普通のもののように、ぴかぴかとか、きらきらとかいうような光り方はせず、むしろ少し白っぽく、ほのかに霞んだような、含んだような、静かな朝の海の上でも見るような、底に沈んだ光り方をする。光を葆《つつ》んでいる。そうしてまっ平らに研ぎすまされた面の中には見えるような見えないようなキメ
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