と寒いように感じるが、山の人がツララを見ると、おう、もう春だっちゃ、と思うのである。
ツララがさかんになる頃には、水田の上にかぶさっていた雪の原に割れ目ができてくる。大てい畔《あぜ》にそって雪は解ける。雪の断層ができて、山岳でいう雪の廊下のようになる。それがくずれて、南側の日あたりに枯草の地面が顔を出す。地面が顔を出すが早いか、忽《たちま》ちここの日光をしたってフキの根からぽっかり青いフキノトウが出る。このへんではこれをバッケとよんでいる。二つ、三つ、雪の間の地面にバッケを見つけた時のよろこびは毎年のことながら忘られない。ビタミンBCの固まりのようだ。さっそく集めて、こげいろの苞《ほう》をとりすて、青い、やわらかい、まるい、山の精気にみちた、いきいきとしたやつを、夕食の時、いろりの金網でかろくやき、みそをぬったり、酢をつけたり、油をたらしたりして、少々にがいのをそのままたべる。冬の間のビタミン不足が一度に消しとぶような気がする。たくさんとった時は東京で母がしたように佃煮《つくだに》にしてたくわえる。痰《たん》の薬だといって父がよくたべていた。
バッケには雌雄の別があって、苞の中の蕾の形がちがう。雌の方は晩春のころ長く大きく伸びてタンポポのような毛のついた実になって、無数に空中を飛んでゆく。
バッケをたべているうちに、山ではハンノキに金モールの花がぶら下がる。この木を山ではヤツカ(八束か)とよんでいるが、大へん姿のいい木で、その細かい枝のさきに無数の金モールがぶら下って花粉をまく。小さな俵のような雌花があとでいわゆるヤシャの実になり、わたくしなどは木彫の染料に、それを煮出してつかう。もうその頃には地面の雪もうすくなり、小径《こみち》も出来て早春らしい景色がはじまり、田のへりにはヤブカンゾウの芽がさかんに出る。これもちょっと油でいためて酢みそでくうとうまい。山の人はこれをカッコといっている。カッコが出るとカッコ鳥がくるし、カッコ鳥がくると田植だと人はいうがそうでもないようだ。そのころきれいなのは水きわの崖などに、ショウジョウバカマという山の草が紫っぽいあかい花をつけ、又カタクリのかわいい紫の花が、厚手の葉にかこまれて一草一花、谷地《やち》にさき、時として足のふみ場もないほどの群落をなして、みごとなこともある。カタクリの根は例のカタクリ粉の本物の原料になるのだが、な
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