品になる鼻ではない。むしろなだらかで地道である。顴骨から鼻の両側に流れる微妙な肉、そして更に下顎に及ぶ間延びのした大顴骨筋と咬筋とそれを被《おお》う脂肪と、その間を縫うこまやかな深層筋の動きとは彼の顔に幽遠の気を与え、渋味を与え、或時は凄愴《せいそう》直視し難いものを与える。団十郎は鼻下長である。彼の長い鼻下と大きな口裂と厚い唇とはあらゆる舞台面上工作の根拠地である。彼の口辺の筋肉の変化と強い頤唇溝の語るところは筆で書けない。此所は造型上でも一番手こずる難所である。とにかく清正の髯《ひげ》は此所に楽に生え、長兵衛の決意は此所でぐっ[#「ぐっ」に傍点]ときまり、鷺娘《さぎむすめ》の超現実性も此所からほのぼのと立ちのぼるのである。そしてあのムネ スウリも及ばないめりはり[#「めりはり」に傍点]が此所から出るのである。滝壺のようにとどろく声が生れるのである。団十郎の首はまだ出来ない。



底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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