郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。その間ぬけさがたちまち溌剌《はつらつ》と生きて来て晩年の偉大を成している。一切の秀れた技巧を包蔵している大味である。神経の極度にゆき届いた無神経である。彼の第一の特色はその大きさにある。いかにも国運興隆の大きさである。彼の実際の身の丈けは今の吉右衛門よりも小さい。五代目菊五郎と並んだ写真では菊五郎の方がわずかに背が高い。その短躯《たんく》が舞台をはみ出す程大きいのである。彼は肥っても居ず痩《や》せても居なかった。彼の大きさは素質から来ている。深みから来ている。血統から、荒事師の祖先から来ている。絶体絶命の大きさなのである。
団十郎の顔はぽかりと大きい。その道具立の一つ一つがゆったり出来ていて、此は隈取《くまど》られるために生みつけられた特別製の素材であった。其上に舞台上の修練によるあらゆる顔面筋の自由な発達があった。すべてが分厚で、生きていて、円融無礙《えんゆうむげ》であった。
団十郎の顔は全体には面長である。横から見ると、後頭よりも顔面の方が勝っている。正面から見るとやや鉢開きの形をしていて頬が何処までも長く、滝のようにつづいている。前額の高いのを除いてはこれといって目立つ急な突起は無い。顴骨《かんこつ》も出ていない。下顎《したあご》にも癖がない。その幅のある瓜実顔《うりざねがお》の両側に大きな耳朶《みみたぶ》が少し位置高く開いている。おだやかな眉弓の下にある両眼は、所謂《いわゆる》「目玉の成田屋」ときく通り、驚くべき活殺自在の運動を有《も》った二重瞼《ふたえまぶた》の巨眼であって、両眼は離れずにむしろ近寄っている。眼輪匝筋《がんりんそうきん》は豊かに肥え、上眼瞼《うわまぶた》は美しく盛り上って眼瞼軟骨の発達を思わせる。眼瞼の遊離縁も分厚く、内眥《ないし》外眥《がいし》の釣合は上りもせず下りも為ない。そして涙湖、涙阜《るいふ》が異様な魅力を以て光っている。下眼瞼の下に厚い脂肪層が一度陰影を作り、それから直ぐ鼻翼の上の強いアクサンとなる。此の目玉に隈《くま》を入れて舞台で彼が見得を切る時、らんらんと言おうかえんえんと言おうか、又城外の由良之助のように奥深くじっと見つめる時、それは世紀の奥を貫く眼だ。鼻梁《びりょう》は太く長いが、別に高くはない。高過ぎて下
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