ながさず
ただ東洋の真珠の如き
うるみある淡碧《うすあを》の歯をみせて微笑せり
額ぶちを離れたる
モナ・リザは歩み去れり
モナ・リザは歩み去れり
かつてその不可思議に心をののき
逃亡を企てし我なれど
ああ、あやしきかな
歩み去るその後《うしろ》かげの慕はしさよ
幻の如く、又阿片を燔《や》く烟の如く
消えなば、いかに悲しからむ
ああ、記念すべき霜月《しもつき》の末の日よ
モナ・リザは歩み去れり
[#ここで字下げ終わり]
雷門の「よか楼」にお梅さんという女給がいた。それ程の美人というんじゃないのだが、一種の魅力があった。ここにも随分通いつめ、一日五回もいったんだから、今考えるとわれながら熱心だったと思う。「よか楼」の女給には、お梅さんはじめ、お竹さん、お松さんお福さんなんてのがいて、新聞に写真入りで広告していた。私は昼間っから酒に酔い痴《し》れては、ボオドレエルの「アシツシユの詩」などを翻訳口述してマドモワゼル ウメに書き取らせ、「スバル」なんかに出した。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
わが顔は熱し、吾が心は冷ゆ
辛き酒を再びわれにすすむる
マドモワゼル ウメの瞳のふかさ
[#ここで字下げ終わり]
といった有様だった。当時は又短歌もやっていたが
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
かの雲をわれは好むと書きをへしボードレールが酔ひざめの顔
[#ここで字下げ終わり]
などという歌が出来た。
一にも二にもお梅さんだから、お梅さんが他の客のところへ長く行っていたりすると、ヤケを起して麦酒壜《ビールびん》をたたきつけたり、卓子ごと二階の窓から往来へおっぽりだした。下に野次馬が黒山になると、窓へ足をかけて「貴様等の上へ飛び降りるぞッ」と呶鳴《どな》ると、見幕に野次馬は散らばったこともある。
お梅さんが朋輩《ほうばい》と私の家へ押しかけて来た時、智恵子の電報が机の上にあったので怒って帰ったのが最後だった。その頃、私の前に智恵子が出現して、私は急に浄化されたのである。
お梅さんはある大学生と一緒になり、二年ほどして盲腸で死んだ。谷中の一乗寺にその墓があるが、今でも時々思い出してお詣《まい》りしている。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
※「失はれたるモナ・リザ」の詩は、底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が3字下げになっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
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