ある。ここでも、専門的な高度な学問が希求されていて、殊に職工が異常な学問的意欲を示していることであった。三原のカント講座は、百名の聴衆の中で三十名余りは職工であり、二十名余りは農民であった。尾道でも、ちょうど夏期大学中青山君が私の家にいるとき、一農村青年が、「やっとカントの『純粋理性批判』を読み終りました」と言って、貸した本と南瓜を二つ持って来たので、青山君はとてもびっくりしていた。私はそれがそんなに驚くべきことかと、今更の如く、思いかえしてみたのであった。
夏は只四日しか私は、私の家に寝ることが出来なかった。農村恐慌への対策と村民の団結のために、封建遺制の底に沈湎している彼等に理論を説く事は、なかばは肉体労働的なつもりでいなければならない。しかし各地各様の相貌をもって立上りつつあった。三反百姓の多い土地と、一町百姓の多い土地ではまた、その反応も各々異っていた。
秋になると、青年の要求は論理学に集中して来た。論理学を興味多く連続講義することは、実に自分にとってはつらい任務である。このやや大きくなって行った文化運動は、秋立つにつれて、一つの反動期に入って行った感がある。地方選挙戦を眼前にして、青年を把握していることへの嫉視は当然予想さるるところである。この大きい動きが、それ等の人々を父兄とするところの青年に一つの分解作用を及ぼすことはその第一の原因と見るべきであろう。また青年自身が、自ら立候補または運動にまき込まれるにあたって、安易なる、利己的な道へ誘惑されるのもまた、当然な経路である。この青年自らの自己崩壊はその第二の原因となるであろう。第三は、全体に反民主主義的な土用浪のような潮の高まりが、田舎の第一線で孤独に戦っている自分には切々と感ぜられるのである。商業資本機構の中にしみ込んだボス的封建制は民主的再建設に対しては、そのスタートを明らかに拒否しはじめている。また教育界が同じ反動の徴候を示しはじめている。去年の今頃の暗澹たる思いは、しかし、攻勢における手不足の暗さであるが、今は何か守勢的なるものすら感ぜしめる。手塩にかけた好青年が一人、一人去りゆくのをじっと見つむることは言いようもなく寂しい思いである。
図書館も、市の意向で、読書以外の文化運動を一切禁ぜられた。如何に、第二年目を組立てて行くか、自分の家に集まる一握りの青年を基礎に、歴史のこの大きなリズムの中に、いかに再び乗入るるか、再び自分は身の中にたぎり打ちふるうものを感ぜずにはいられないのである。
[#地から1字上げ]――一九四六・十一・六――
底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「青年文化」
1947(昭和22)年1月
入力:鈴木厚司
校正:宮元淳一
2005年6月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング