ような思いであった。そのかわり、「第九」の合唱となり「ああ、友よ」と遠い敗れ去ったドイツから、二百年の彼方シルレル、ベートーベンから呼びかけられたとき。皆、深く、頭をうなだれて、眼に涙をうかべさえしたものもあった。私も一生、あの時の如く「第九シンフォニー」を激情をもって聴いたことも、また聴くこともあるまい。私は会が終って、感動の激情を聴衆に伝えずにはいられなかった。
これが一つのエポックとなって、日曜日の午後三時から毎週、「希望音楽会」をつづけたのであった。絵の展覧会も、座談会がきっかけで書庫の前に二十点ばかりを常置した。街に出す展覧会の広告が、また、その頃では街に咲く一つの華ともなり、「平和が来たんだぞ」という一つの呼びかけともなったのであった。ボロボロの図書館は、かくして、ボロのフォードが身震いして走り出したように、ついに動きはじめたのであった。これはまた、青年達を、一種の好奇の眼をもって、周りにひきつける役割を果たしたのである。「あっあのボロ車が?」と。
特攻隊の神風隊の大尉であるまたは復員の陸軍少尉殿である青年達は、この図書館で、丁稚達を教育しようと考えついた。そして教師陣
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