せていた。幾日かの中に、彼が絵を描くことも判って来た。
「先生絵をもって来ましょうか」「うん、もって来い」彼は素人油絵を青年らしい率直な誇をもって持って来た。
「これを館長室にかけろ」実は書庫のボロ本を整理して、一つの部屋を作って、私達がそこを館長室と名を付けたばかりなところである。未だ明治時代のアセチレンのガス燈の管が十字架を逆さにした型で下っているこの部屋の壁に、彼はこの絵をかけたのである。私はこの稚拙な、しかし清純な絵を見ているうちに、何か胸たぎる想いが湧いて来た。
「ここに一人の青年が結集している。ここにすでに最小単位の文化運動が始まっている。」
 私は「ようし」と腹の底で呻ったのである。治安維持法は、十月四日に断ちきられた。私は、三日後、十月七日、そのスタートを切った。
 日曜日の朝九時(学生を対象とする)、水曜日の午後二時(一般婦人を対象とする)の二つの講演会、金曜日の午後一時よりの座談会を計画して実行に移した。人事と本の年間予算が二千八百円、私の年棒がタッタ百円の館では講師の経費は勿論出っこないから、終始独演ということになる。しかし、悲しい哉、聴衆はいつでも五人、十人であ
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