のフィリッピンあたりの戦犯の死刑宣告の日本兵たちも、村に帰れば、善良きわみない父であり子であるであろう。これはアメリカ人にはわからないであろう。
しかも、肥料のことでも、自然の秩序の動きでも立派に理解し察知できる彼らであり「知恵」というにふさわしい必死の知識を蓄えている彼らである。
しかし、長いパニックの連続は、彼らを、二千年のアプレゲール、「矛盾的性格」に追い込んでいる。
いまだ、彼らは、「知識人」を見まもっている。彼らの表現せんとしてきた、果していない自分の顔をいかに表現してくれるかと、その口もとを見まもっている。
「股旅もの」が流行し、「剣もの」が「ピストルもの」にかわっていても、彼らが求めているのは、もっとほんとうの奥のもの、しみじみと語ってくれるものなのではないだろうか。もっと、ほんとうの涙、ほんとうの声を見聴きしたいのではないだろうか。
大衆の「知恵」に見まもられているシナリオ・ライターの位置は、この三百年の冷凍文化崩壊後の現代において、まことに切実な位置であるといえるであろう。
ほんとうにカットをつないで見るのは、この日本の大衆なのである以上、シナリオ・ライターは、この大衆の「知恵」のどまんなかに融け込んでいかなければならないのである。
容易ならざるものがまっている。
[#地付き]*『シナリオ』一九五一年九月号
底本:「中井正一全集 第三巻 現代芸術の空間」美術出版社
1981(昭和56)年5月25日新装第1刷
初出:「シナリオ」
1951(昭和26)年9月号
入力:鈴木厚司
校正:宮元淳一
2005年3月25日作成
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