きることは、深い楽しさである。この少年達から、二十年後の世界が生まれ出るのである。私達に想像もつかない二十年後が生まれるのである。二十世紀を完成する世界人が出現するのである。
 教育こそは、大いなる現実の世界改革なのである。現実の営みが二十年後の世界を変えつつあるのである。その意味で、村々に図書館が出来て、そこで、自分が読みたいと思うこころに、よい本を差し出してやることが出来ることは、容易ならざる大いなる政治の、基礎構造でもあるのである。私達は、まず法案をかかるかたちで成立させて、更に全館界の運動の力によって、より完全な法案を次から次に国会に上程して、村々の少年少女の上によい本を雨のように降らしてやらなければならない。そのためには公共図書館といわず、学校図書館といわず、打って一丸となって、よい本を書店がつくるように協力してやらなくてはならない。また図書館同志の技術の向上に応援しなければならない。
 ここでも、いつもありがちな自分だけよければよいという考え方は、何にもならず、かえって自分もまた駄目になってしまうことになるのである。宇治川の先陣のような、「抜駆けようというこころ」は、今の文化では色あせた鎧である。にもかかわらず、至るところに残っている悲しい日本の現実である。
 図書館法はこのこころに禍いされ、汚されてはならない。ひたむきな協力で、私達はこのこころを洗いすて、洗い清めなくてはならない。
 そして、この法案の周囲に、温かい文化を愛するこころを集めなければならない。一隅を照らす光のように、一つの火が他の火に呼びかけるように、次々に燃えひろがる火でなくてはならない。燈台が照らしているようなこころもちでは、それは運動ではない。一つの小さな小さな火が、一つの小さな火に燃えうつり、点々として燃えひろがる火でなくてはならない。それはやがて燃えに燃え、広がりに広がる焔となるのである。これこそは、無限に広がり無限に燃えつづけるものである。それが消えるものであるが故に、燃えていることが美しく、また大切でもあるのである。
 かかる運動は、ただ言葉だけではのりうつるものではない。図書館人はその行動でもって、黙々たる行動でもって、人々にこの法案のもつ精神を伝えなければならない。言葉の伝えるものは、それが聞え、それを読む数に止まる。行動の伝えるものは、ただ一つのものを打つのである。た
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