レース・コースの中にあらわれたのである。そして馬がスタート切るや、馬券表の高台に上って、また民主選挙が何であるかを説かなければならなかった。
京都から、知己である坂東蓑助氏が競馬場に応援に来てくれて、あの美貌の鼻の先を赤く日に焦がしていたのは、今も尚、胸にしんで来る姿であった。
あのレース・コースに立った自分を、今思いなおしみて深い感慨がある。実践なるものには、過剰の意識を乗越えて、自分自身を追い抜くもの、自分自身を止めて見ているものを追い抜くものがなくてはならない。批判は補うもののない場合、単なる批判である場合、実践を止めてしまうものである。
自分のフォームが気にかかっているボートの選手を「岸が気にかかる」といってボートマンは嫌う。フォーム倒れになるからである。気をつけるべき事である。
くよくよ考えていてどうして自分は馬になれたろう。多くの青年が、芸術家が、知識人が美しくもあの行動の中に巻き込まれて行って、馬のコースの中に立つに至ったことを思いみて、私は感慨にうたれるのである。そして、青年達は僅か三万円余りの費用で、私のために二十九万千九百二十四票をかき集めてくれたのであった。敗れたりとはいえ、人々の予想を美事にくつがえして、四対三の比率で現知事を相手の戦いをたたかったのであった。
選挙のうわさがぼつぼつ起って来たシーズン、鹿を逐って、自分が馬になったという消夏閑話の一くさりなのである。
底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「青年文化」
1948(昭和23)年9月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2007年2月13日作成
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