、本の交換貸借、資料の流通、綜合目録の完成等々、立法がバラバラにならないように、セクショナリズムの鉄の窓をいかに破るかの夢が課せられたのである。
 全国の納本をわが館で一手に引受けて、その全国の文献のリストを完成すること、やがては分類のカードを印刷して、それを全国の図書館に安価に、できれば無償で配付することもすでに軌道に乗っている夢の道である。その他語られたヴィジョンは多かったのである。もちろんそれはアメリカではそれは現実なのである。しかし、その一つ一つが日本では夢にすぎなかったのである。かくしてその夢の種は、戦後の矛盾に満ちた瓦礫の中に下ろされたのである。
 私達は発生的に、その下ろされた一粒の種であったのである。右に根をのばせば鉄板、左にのばせば焼けた石というかたちでその生態を形づくり、空間を求めている。
 言語をつくってくれた、辛抱づよい人類の十万年の苦労を思い起して、鼓舞しなければ、時々途方に暮れる思いをする日がないではないが、しかし、二年足らずの年月とすれば、どうにかやっと根が下ろせたかと思うところである。アメリカの国会図書館の七十年の歴史から見れば、或いは二年目頃はこんなものであったかもしれない。
 夢を実現することは、ちょっとやそっとではない。支部図書館をつくるとき、各省から集まって議論があった。立法機構から行政機構に、一種の任命権をもつことからが無理な夢なのである。議論は全然まとまらないのである。あわや混乱かと思えた空気であった。私は思わずいったのであった。これが法的に無理である事はわが館の方がよく知っている。アメリカですらできない夢なのである。しかし、何故そんな無理を私達は課せられているのであろうか。おそらく、それは「現実」がそれを求めているからではなかろうか。世界のスポットライトを浴びて、それを完成するもしないも、みなさんの決意次第である。
 私は今、あの丹那トンネルを思い起す。十数年間それが不可能であると、あらゆる新聞からたたかれながら、黙々とあれを敢行した日本技術陣の涙は容易ならざるものがあった。私達はあの人達の思いをもう一度、この文化技術陣の者として思い返して見たいと考えたのであった。その後一年の今、二十四の図書館が、アメリカにない偉容をもって各省その他(学術会議をもふくめて)にできて、三百八十万冊の図書館資料を、一つの統一のもとに動かしつ
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