れて視点がまぎれやすい。機械は常に機能の拡大であり、それはその構造の内面機構の単純化をももたらせて本質的に遊離して私たちの前にもたらしてくれる。このことは私たちには興味深い事実としてあたえられていると思う。
インドのミトスで、描くかわりに巌壁を磨いたことは、描くことの内面にひそむうつす[#「うつす」に傍点]ことの本質現象を囚《とら》えきたってあまさない。ナルシサスの美しさも水にうつすことによって自覚される。いわばうつすこと、それが水にもせよ、金銀にもせよ、鋼金にもせよ、水晶体にもせよ、レンズにもせよ、うつすこと[#「うつすこと」に傍点]その中に、芸術の始源的原型が内在せりと考えらるべきである。日本語でうつす[#「うつす」に傍点]ことがそのまま移動的意味を構成するごとく、それは芸術の移入的等値的射影性を意味すると考えたい。あらゆる意識の働きの原型もが、生命のすべての現象の等値的射影的関連にありとも考えられよう。うつす[#「うつす」に傍点]ことの原現象形態がまたそのまま文字、音楽などにもいきわたって、芸術のウルフェノメナに深い関連をもつとも考えられよう。そして今、レンズの場合、光が石英の
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング